シン・母 遠距離介護日記+

遠方にいる認知症の母の備忘録を中心に、日常のあれやこれやを書いています。

母が軽度認知症(MCI)と診断された頃のこと メモより

母の様子について、過去にスマホにメモしていたものを転記しています。

この頃、少し認知症を疑うような症状が出始めていて、私も戸惑うことが多かったです。

大学病院のものわすれ外来では、脳の萎縮が見られること、知能テストの結果から「軽度認知症」と診断されていました。

「まさか、母が」という戸惑い、ショックと不安が大きかったのもこの頃で、認知症関連の本を読み漁る毎日でした。

 

2021年6月30日

コロナワクチン接種、第1回目を受けてくる。

熱もなく、痛みもないようで少し安心。

 

夕方になって、母の言動にイライラしてしまい、少しきつく言い過ぎてしまった。

情緒不安定になったのか、「何か忘れてる気がするけど、思い出せない」と家の中をウロウロ。

何かを探し回るような行動をみせる。

表情に焦りも見られる。

一瞬、コロナワクチンの副作用かと思い、不安になる。

30分ほどして落ち着いた様子。

 

責めてはいけない。

怒ってはいけない。

「頑張れ」もいけない。

こうなっているのは、お母さんのせいではないのだから。

 

2021年7月20日

「お母さん、いまはちょっとおかしいけど、そのうち良くなると思う。大丈夫」と言う。

私に、自分自身に、言い聞かせるように。

 

その言葉が健気に感じて、悲しくて、母がかわいそうで、愛情と哀れが入り混じるような気持ちになって、思い出すたびに切なくて、辛い。

 

私だって良くなるって信じたい。

不安が杞憂に終わればどんなにいいだろう。

でも、もう良くはならないかもしれないから。

認知症は、ものすごく残酷な、不治の病だとしか思えない。

一生懸命生きてきたのに、どうして母が、こんな病気にならなきゃいけないんだろう。

 

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2021年8月18日

ビデオ通話で話していると一見問題ないようだが、ふとした瞬間に言葉が出てこないことがある。

母も自覚があるらしく、もどかしそうにしている。

 

兄が仕事でしばらく実家にいるので、電話で話す。

朝、母から「今日は登校日じゃないの?」と聞かれたらしい。

その後、母に電話をして、その時の状況を聞いてみる。

朝起きてからずっと、自分が学校に行かなくてはいけないような気持ちになって、いろいろ考えていたらしい。

兄に「お母さんは学校行ってないでしょ」と言われて、自分がおかしなことを言っていると理解したらしい。

 

母におかしな言動が出ると、不安や驚きから、私のほうが動揺してしまう。

そうすると、つい口調が厳しくなってしまう。

認知症の人に否定は絶対にダメだというけれど、頭ごなしに否定してしまいそうになる。

母が得体のしれないものに変わっていく恐怖、心配、不安。

70代後半で早いと思うけれど、そういう時期にきたのだと受け入れて諦めなければいけない。

 

もう、以前の母ではない。

でも、今の母も間違いなく母で、ただ歳をとっただけ。

自然に歳をとっただけ。

変わったわけではない。

 

お父さん、お母さんを守って。

私達を守って。

この先、つらいことがありませんように。

 

当時を振り返って

今から2年前のことです。

当時の母の様子を振り返ってみると、この頃はまだ、ところどころ混乱はあっても、自分の言動や状況の記憶がちゃんと残っていたんだなと思います。

 

軽度認知症の場合は、半数の割合でもとに戻る場合と、そのまま認知症に移行していく場合があると説明を受けていました。

 

新聞を読む、日記をつける、家族でゲームをする、散歩するなど、日常生活で取り組んだほうがよいことも教えてもらっていましたが、足が悪く、基本一人暮らしの母には実践しにくいことが多かったです。

どうにか踏みとどまってほしいと思っていたのですが、やっぱり認知症は進行していきました。

 

いまの母は、30分前のことでも記憶がありません。

大学病院で、海馬に萎縮がある画像を見せてもらいましたが、その部分はぽっかりと黒い空洞のようになっていました。

母の記憶は、その真っ暗なブラックホールの闇にどんどん吸い込まれてしまい、もう取り出すことができないんです。

(実際にはドーナツの穴みたいなもので、そこには記憶の神経そのものが元々ないのでしょうが……)

黒くて暗い、底なしの、かなしい空洞です。

いま、こうして記事を書きながら、見守りカメラで母の姿をみています。

台所の流しのところに立っているのが見えます。

思わず「おかあさーん!」と呼んで、泣きたい気持ちになりました。