近々の母の記録。
自宅で就寝中、暑さで寝苦しくて目が覚めた。
枕元のスマホをみたら3時に近く、そのまま見守りカメラを開いた。
母は寝室のベットで眠っているはずで、その姿を確認するためだった。
が、とうに寝ているはずの母が、明るいリビングでテレビを観ているではないか。
普段なら母が遅い時間までリビングにいたとしても、仕事から帰宅した兄がベットに行って眠るように促してくれる。
その兄が連休中は自分の家に帰って不在だったので、母は1人ダラダラとリビングにとどまっていたらしい。
母の姿をみた瞬間、なにか怖いものをみてしまったようなゾッとした感覚になった。
一気に目が覚めた。
元気だった頃の母なら、たとえ夜更かししてテレビを観ていたとしても、それほど心配しない。
無理をしていることの自覚があるだろうし、リカバリーが必要なことも、そのために行動することも自分でできるからだ。
でも、今の母は違う。
自分が何をしているか、その結果どうなるのかを理解していない。
私の頭の中に、認知症の症状のひとつである「昼夜逆転」という症状が浮かんできて不安が募る。
「見なかったことに……」と一度は目を閉じたけれど、「これ、ほっといたらダメだろう」と、母にビデオ電話を入れた。
母が電話に出る間、スマホに映る自分の顔をみつめる。
暗い部屋の中、白くぼんやり照らし出された私の顔のほうがホラーだったけれど、母は無邪気な声で電話に出てきた。
〇〇さんー?どうしたのー?
お母さん、何してるの??もう3時だよ!夜中だよ!早くお布団行って!
うん、でも、お母さんもね、いろいろやることがあったから……
そんなものあるわけないでしょう、と言いたい気持ちをこらえ、母に寝室に行って眠るように言い聞かせて電話を切り、また眠った。
翌朝、目が覚めてすぐに夜中のやり取りを思い出し、見守りカメラを確認。
寝室のふとんが使われた形跡がなく、リビングに座ったまま、うたた寝をしている母の姿があった。
なんとなくそんな気もしていたが、結局、リビングで一晩過ごしたのだろう。
その日の母は、昼間もウトウトする姿が多く確認され、電話の時も眠そうにしていた。
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外が暗くなる時間を待って、母に電話。
今日こそベットでしっかり寝てもらうように、電話で言い聞かせる。
21時……23時……とまだリビングいる母に、何度も電話。
母は「今」のことしか分からないので、自分が前日ちゃんと寝ていないことも、私が心配して何度も電話をかけていることも理解していない。
見守りカメラをずっと凝視しているわけにもいかないし、それをやり出したらキリがないことも分かっている。
いくらなんでも疲れているだろうし、そのうち寝てくれるだろうと思いながら、私も就寝。
翌朝、リビングにいる母の姿を確認。
寝室の様子をみるも、ベットが使われた形跡なし。
これで、確実に2晩はまともに寝ていないことになる。
困ったことになった。
テーブルに突っ伏したり、座ったままウトウトしたり、テレビを観たり……の繰り返しで夜を過ごしていたのだろう。
一睡もしていない、というわけではないけど、特に認知症の母にとって睡眠は大事だ。
しっかり眠って身体と脳を休めないと、認知症の症状もひどくなってしまう。
腰も痛いだろうし、寝不足で、血圧が上がったりするのも怖い。
座りっぱなしで、エコノミー症候群だって怖いではないか。
母にビデオ電話をすると、案の定顔色が悪く、元気もない。
すぐにでも寝かせたかったけれど、いまベットにいくように促してしまうと、それこそ昼夜逆転になってしまうのではないか。
お昼と夕方にお弁当を持ってくる、訪問介護のスタッフさんの出迎えができないのも困る。
日中ほぼリビングでうたた寝をしている母をカメラで見守りながら、夕方になるのを待った。
今日こそ、何がなんでも寝てもらわなくてはならない。
母が夜の食事を済ませたのを確認し、電話をかける。
夜の薬を飲んでもらい、電話がつながった状態のまま、テレビを切ってもらい、今すぐに寝室に行って横になるように誘導。
部屋の電気はどうするの、とか、何か持っていくものが……とか、なかなかリビングを出てくれなくてイライラしたが、ようやく寝室に入る母を確認。
電話を切ってカメラで確認していたが、ちゃんとベットに横になっていた。
さすがに疲れていたらしく、朝までしっかり眠ってくれたようだ。
翌日の母は、よく眠ったおかげで顔の艶も良く、いつものニコニコした母になっていた。
受け答えする声にも張りが戻り、ようやく私もひと安心。
睡眠は大切だと、つくづく思う。
親が認知症になると、「いずれは自分もそうなるんじゃ」と思ってしまう。
私にできることは、少しでも認知症になる要因を取り除くことだ。
いい睡眠、適度な運動、バランス良く食べ、ストレスは溜めない。
遺伝子は変えられないが、環境を整えることは努力でどうにかなる。
見守りカメラを開くと、母がテレビを観ながらお弁当を食べている。
今日は兄がいてくれるから、遅くなっても母を寝かせてくれるだろう。
完全ではなくても、母に、少しでも健やかな毎日を送らせてあげたい。
過去も未来もなくなった母の「いま」を、笑顔で過ごして欲しい。