シン・母 遠距離介護日記+

遠方にいる認知症の母の備忘録を中心に、日常のあれやこれやを書いています。

お財布にも身体にもやさしい、おやつ

最近ハマっている、おやつ。

 

材料は、Lunaバニラヨーグルト、きなこ、MCTオイルの3つ。

 

 

バニラヨーグルトに、きなことMCTオイルをかけるだけ。

 

 

美味しい。

毎日食べても飽きない。

 

以前は、コンビニで、新発売のスイーツを買うのがクセになっていた。

セブン、ローソン、ファミマと毎日のように「新発売」が出てくるので、毎日のように300円越えのスイーツをカゴに入れてしまっていた。

ある日ふと「これ、毎日買ってていいんだろうか……」という気持ちに。

 

このバニラヨーグルトは、スーパーでパック買いするとお安いし、味も大好き。

お財布にも優しいし、身体にいいような気もする。

ちょっともの足りない時は、バナナやナッツを足せば満足。

 

「おやつ」と入力して、なんとなく気になったので調べてみた。

 

江戸時代の中期、今の午後2時から4時にあたる「八刻(やつどき)」に食べていた軽食が、「おやつ」の語源だとか。

おやつのトリビア。|森永製菓株式会社

 

なるほど、知らなかった。

ちょっと時間は過ぎてたけど、今日のおやつ、美味しくいただきました。

 

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明日から帰省し、実家で一週間母と過ごす。

一週間したら、また新幹線で移動、2週間は夫と過ごす。

また実家で1週間、自宅で2週間……の繰り返し。

ここ数年、これが私の生活になってしまったけど、ずっとこんな感じなのだろうか。

遠距離介護が始まって、仕事にも就けていない。

「今はそれでいい」と思う気持ちと、「身軽になりたい」という気持ちが半々くらい。

ま、考えてどうにかなるものではないけれど。

とりあえず、おやつも食べたし、パソコンもしまって、動こう。

ミシンレンタル体験記 オーバーシャツの肩幅詰めなど

週末、夫が不在だったので、かねてより気になっていたレンタルミシンを利用してみた。

別に夫の不在をねらわなくてもいいのだけど、ミシンを踏み出すとついつい集中してしまう。

心置きなくミシンと向き合うためにも、家事の負担のない日が望ましい。

 

ミシンのレンタルは初めてだったけど、口コミとかいろいろ読んで評判の良かった「ミシンレンタル屋さん」を利用。

mishin-rental.com

 

申し込みはとっても簡単だった。

会員登録をし、借りたい日を選ぶだけ。

機種も、家庭用ミシン、職業用ミシン、刺繡用、ロックミシンといろいろ選べて、3泊4日借りられ、ネットから延長もできる。

今回は、家庭用ミシンのブラザーPS202Xを選択した。

 

レンタル初日、ヤマトさんがミシンを届けてくれた。

箱を軽々と片手で抱える姿をみて、「えぇーー!さすが!」と思ったけれど、自分で箱から出してみてわかった。

最新のミシンは軽い!!

15年程前に買ったミシンは、当時最新機種だったはずだけど、とんでもなく重い。

腰を傷めないように気合を入れながら持ち上げる必要があるので、最近のミシンの軽さに驚いた。

 

 

 



 

今回の目的は、以前に購入したシャツの肩幅詰め。

私はオーバーサイズのシャツがあまり似合わないのだが、ジャストサイズのものは最近とても少ない。

生地が好きだったので購入したものの、身体が大きくみえてしまって、あまり着ていなかった。

40代に入ってから洋裁にドハマりし、文化服装学院の服装コース(通信)を3年かけて受講した。

何事も飽きっぽい私の唯一の趣味だと思うが、現在の住まいがものすごく狭いのでミシンを置く場所がなく、預けたままだ。

「直したいけど、手元にミシンないし……」と思っていたところ、レンタルミシンの存在を知り、さっそく手配してみたのだ。

洋裁の経験はあるものの、ミシンに触るのは久しぶりだし、機種が変われば「???」の連続。

説明書を読み、下糸、上糸と通して準備完了になるまでに、ずいぶん時間がかかった。

何より困ったのが、説明書の細かい文字が見えない!!

以前はクッキリハッキリ見えていた文字も、ミシン目も、なんにも見えない………

自分が順調に老化していることを、改めて実感。

夫のハズキルーペを借りて、なんとか乗り切ることにする。

 

ミシンを始めたら、ひたすら没頭……

届いたらすぐに縫えるように、あらかじめシャツの肩まわりと脇をほどいてアイロンをかけ、修正したサイズでしつけ縫いをするところまで済ませておいた。

ここまで準備するのが一番面倒くさかったりするのだけど、洋裁はとにかく準備が大切で、アイロンがけやしつけ縫いをきちんとするだけで、仕上がりが全然変わってくる。

最初はこわごわ縫っていたけれど、縫い進めるうちに、なんとなくカンも戻ってきた。

早く完成させたくて、お昼ご飯も立ったまま適当にすませ、またミシン……

1枚目のシャツのお直しが終わり、2枚目のシャツの袖付けが終わったところで、初日の作業を終了。

私の中では、袖付けが終われば、峠は越したようなものだ。

まばたきをあまりしていなかったのか、目がショボショボと真っ赤になって痛みがあり、しっかり開けていられない。

呼吸も浅くなっていたのか、頭もクラクラしている。

気力があっても、もう身体がついていかないのよね……

糸くずが散らかった部屋を片付け、ゆっくりとシャワーを浴びてようやくひと息ついた。

 

 

2日目は、前日にかなり頑張って進めていたおかげで、余裕を持って縫うことができた。

 

 

2枚目のシャツのお直しも終わり、他に気になっていたものをクローゼットから引っ張りだした。

 

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昨年買ったセントジェームスのボーダーシャツ、洗濯で縮むかと大きめサイズを選んだら、大きすぎた。

襟ぐりが広すぎてネックラインに沿わず、パカパカ浮いてしまう。

何度か洗濯してみたけど、思ったより縮まない。

(丈や身頃は若干縮んでも、襟ぐりってあまり変わらないのかも)

1枚では着られないし、重ね着するには身頃が中途半端なサイズ。

襟ぐりを直すのは初めてだし、失敗したら怖いな…とも思ったけど、このまま着ないでしまっておくほうがもったいない。

襟ぐりを詰めるのは、こちらの動画を参考にさせていただいた。

 

ネックラインを簡単に小さくする方法に関する縫製のヒント!

 

襟ぐりを左右3センチずつ詰めたら、ちょうどいい感じにネックラインに沿うようになり、肩の位置もその分上がったので「着られている感」がなくなった。

 

 

3日めは、普段着用の無印ボーダーシャツを。

(ボーダーとストライプが好きで、似たタイプが増えていく)

生地の感じとかサイズ感とかが好きで着やすいんだけど、着丈が長すぎるのか、部屋着感強めなところが気になっていた。

おしりは隠したいのでそのまま残し、前身頃だけカット。

前だけイン、みたいな雰囲気になり、ちょっとこなれた感じになった。

 

 

買った時は「まぁ、いいかな」と思っても、なんとなく身体に合わずに手が伸びなかった洋服たち。

今回思い立ってミシンをレンタルしたおかげで、これからは1軍で着ることが増えそうで嬉しい。

 

4日めは、最終日の24時までに配送業者に引き渡せば大丈夫。

延長が必要な時は、ネットから簡単に申し込むこともできるらしい。

値段はレンタルする機種にもよるけど、今回は補償サービスとフットローラーもつけて、往復の送料込みで5,450円。

シャツ2枚とボーダーシャツ2枚が復活したことを考えたら、高くはないと思う。

本体が軽くて持ち運びしやすかったこともよかったけど、最初のひと針からキッチリ糸調子が整っていること、下糸のからまりがなく、縫い終わりに生地がスムーズにミシンから離れてくれることにも感心。

ミシンも日々進化していることを知った3日間だった。

 

何より、久しぶりのミシンは楽しかった!

縫い上げていく時、鏡の前で試着しながら構想している時のワクワク感や、思い通りの形に仕上がった時の満足感。

洋裁の楽しさと充実感を、存分に味わった。

しばらく洋裁は無理だと思っていたけど、こんなに楽しめるならまた利用したい。

(2枚のシャツ、写真並べたら同じシャツに見える……)

 

 

 

 

aoi50202204.hatenablog.com

 

認知症母の日常サポートと癒しのオイルタイマー

認知症で足の悪い母は、要介護2をもらっている。

定期巡回随時対応型訪問介護サービスを利用していて、毎日お昼と夕方の2回、スタッフさんに来てもらっている。

お弁当の宅配、着がえの手伝い、お洗濯や、携帯電話の充電等のちょっとした困りごとまでサポートしてもらっている。

 

今朝、見守りカメラで母の寝室をみたとき、机の上に白い包み?のようなものが見えた。

几帳面な母らしくきっちり何かを覆っているようだけど、中身が何かがわからないし、カメラ越しで大きさもよくわからない。

前に帰省した時、部屋のすみに置いてあったティッシュの空き箱に、脱いだ紙パンツがきっちり詰められていたことがあった。

着がえは訪問時に手伝ってもらうのだけど、少し汚したか何かで自分で履き替えたのだろう。

一見すると普通にティッシュの箱が置いてあるように見えたから、スタッフさんも気がつかなかったと思われる。

 

カメラに映る白い包みが紙パンツの汚れ物だったら困るな……と思い、スタッフさんにメッセージを入れ、訪問時に確認してもらうようにお願いした。

 

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数時間後、スタッフさんから連絡があった。

白い包みの中身は、食べた後のみかんの皮だったらしい。

良かった、良かった。

お手数をかけたことをお詫びすると、スタッフさんから次のように返信がきた。

 

「このような連絡はサポートを行う上で非常に助かりますので、遠慮なくお願いします。ありがとうございます」とのこと。

 

本当にありがたい。

向こうもお仕事とはいえ、私がこうして遠距離で生活できているのもスタッフさんのサポートあってのことだ。

訪問介護サービスと私の遠距離介護で、少しでも長く、母が在宅で過ごせたらと願うばかり。

 

話は変わるが、Amazonで購入したオイルタイマーに毎日何気に癒されている。

ただ眺めているだけでストレス解消になる、と説明書きがあったので、そう高い物でもないし……と買ってみた。

 

 

オイルのつぶつぶが、らせん状に滑り落ちていくだけの単純なものだけど、眺めていると確かに時間を忘れる。

ぽよん、としたオイルが弾むように落ちていく様がなんとも可愛い。

無心になるので、確かにストレス解消に良さそうだ。

 

私はこれを、母とビデオ電話で会話する時、横に置くようにしている。

朝のルーティーン、歯磨き、洗顔、栄養ジュース、服薬、の声かけをする時、足の悪い母はゆっくりとしか動けないし、次の動作を声かけしても、すぐに理解できない時もある。

そんな時にイライラしないように、母を待つ間、このゆったりと落ちていくオイルの粒つぶ達を眺めるのだ。

不思議と気持ちが落ち着き、母にも「大丈夫~、ゆっくりでいいから~」と優しい声が出せる気がする。

何事も、イライラしたら負けなのだ。

 

こちらは、夫がどこかでもらってきたウェットティッシュ ↓↓

可愛くて和むので、なんか使えないでいる。

 

 

母にも気持ちがある、という当たり前のことを忘れそうになる

昨日の朝、実家にいた兄から電話がかかってきた。

前夜、遅い時間に兄が帰宅したら、母がまだリビングでウロウロしていたという。

すでに日付が変わった深夜だったので、半分叱るようにして寝室にいかせ、自分も就寝したらしい。

で、今朝になってキッチンを見てみると、レンジの中のターンテーブルが外に出されていて、その上にトースターから外したと思われる謎の板(どの部分から抜き出したのかが分からない)が重ねてあったらしい。

その数日前にも、まな板が定位置から消えていたらしく、兄が探したとのこと。

 

「もう、いいかげんにしてほしいんだよ」と私に報告する兄の声は相当苛立っていた。

 

兄は、幼い頃からあまり母と相性が良くない。

大学を卒業してから県外に出たけれど、年に数度の帰省時でさえ、顔を合わせれば衝突していた。

母が兄の地雷を踏み、兄が激怒するのが毎回のパターンで、私からみれば『なんで、そうなっちゃうの~??』と理解に苦しむシチュエーションが多かった。

 

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今は仕事の関係で県外の自宅と実家を行き来しているが、なにぶん忙しいので、実家に滞在していても、母と顔を合わせるのは朝出かける時くらい。

母が認知症になってから兄もずいぶん母に対して優しくなったというものの、実際に母のケアをすることは到底無理だということは承知している。

実際に母と一緒に過ごせば、その言動にイライラしてしまうことも十分理解できる。

私も実家で母と過ごす数日間の間、ずっと穏やかな気持ちで接することができるかと言えば、難しいこともままある。

 

兄の電話の苛立った声は、おそらくすぐそばに座っている母の耳にも届いているだろう。

母の、萎縮した、でも納得いかないような、複雑な表情が目にみえるようだ。

 

とりあえず兄の話を聞いて電話を切り、兄が仕事に出かけた頃を見計らって母に電話をかけた。

 

母は5~10分前の記憶すら怪しくなっているが、自分が叱られたりしたことや嫌な気持ちはやっぱり残るらしい。

 

「お兄ちゃんに怒られた」

「お母さんが、余計なことをするんだと思う」と言う。

 

母が深夜遅くまでリビングにいて、備品や書類箱に整理されている書類を引っ張り出してしまうことは確かに困ることだし、なによりも睡眠は規則正しくとってほしい。

 

「お母さん、遅くまで起きているのは身体によくないし、あちこちなんでもいじっちゃうと、お兄ちゃんが使いたい時に困るからやめようね。お母さんがお兄ちゃんに怒られるの、お母さんも嫌だろうけど、私も嫌だしね」

 

そう話すと「うん、わかった」と素直にうなずいていたけれど、次の言葉にハッとして、胸を突かれるような気がした。

「お母さんにだって、気持ちはあるから」

 

そうなんだよね……

認知症になってから、無意識に母をコントロールしようとしていたけれど、母だって家の中のことが気になるだろうし、「こうしたい、ああしたい」っていう欲求だってあるよね。

当たり前のことなのに、『とにかく余計なことをせずに、黙って静かにしていてほしい』という残酷なことを、当然のように思ってしまっていた。

 

兄にはメッセージを入れた。

危険がおよぶこと以外は、できるだけ目をつぶってほしい、何か理解できない言動があっても、想定内のことだと受け止めてほしい、ということ。

イライラしてしまうだろうけど、なるべく怒らないであげてほしい、ということ。

 

母が認知症になった当初は戸惑ったり悩んだりしたけど、時間が経つにつれて「認知症の母」がノーマルになり、母を1人の意思を持った人として扱っていなかったのかもしれない。

かといって、いくら母が好きなように自由にやらせてあげたいと思っても、実際に1人で生活できない状況になっているのだし、病気はこれからも進行していくものだ。

どこまで本人の意思を尊重するべきなのか、行動を本人の意思に任せていいのか、という問題は大きくなってくるはずだ。

 

これからも手探り状態が続いていくんだろう。

母、兄、私、それぞれ自分の人生があるし、共倒れになるわけにはいかないのだし。

私だって自分に与えられたものの中で「より良く」生きていきたいと思っている。

私の中で「母を、穏やかな状態、気持ちで看取る」ということが、大切な使命というか願いになっているから、母のためにも、自分のためにも、そこはどうにか乗り越えたい。

 

追記:

私、「AIタイトルアシスト機能」を入れてるんですが……

(実際には、まるっと使用することはないのですが、ヒントにさせてもらったりすることはあります)

今回も一応ポチっと押してみたら、ソーシャルメディア向けタイトルにこんなの出ました。

 

「深夜の謎解き:ウロウロ母と消えたまな板 #サスペンス」

 

思わず笑ってしまいました。

『これ、サスペンスだったのか!笑』って。

自動アシスト機能、面白いです。

和みます。

 

 

杉山清貴沼にハマってしまって

もう自分でもどうしちゃったのかと思うくらいに、ハマってしまった。

元々オメガ時代にファンだった夫に誘われて行ったライブだったのに、私のほうがドハマりしてしまった。

 

きっかけは昨年11月に行った「林哲司の世界 ザ・シティ・ポップ・クロニクル」だ。

aoi50202204.hatenablog.com

 

寺尾聡、稲垣潤一佐藤竹善、杏里、菊池桃子松本伊代らと一緒に、杉山清貴&オメガトライブも出演していた。

曲はもちろん知っていたけれど、盛んにテレビ出演していた頃、私はまだ中学生。

サングラスをかけて歌う姿や曲の雰囲気は大人びていて、子どもの私にはそれほど刺さらなかった。

甘くて伸びやかな声で繰り返されるサビの部分だけが、記憶に残っている。

気がついたらカルロス・トシキ&オメガトライブになっていたし、そのうち杉山さんはハワイに行ったこともあってか、あまり目にする機会がなかった。

だから、本当に失礼ながら(今となっては悔やまれるのだけど)私の中で杉山清貴さんは「あの人は今」の位置づけにいたと思う。

この時のライブで生歌を聴いた瞬間、そんな自分の認識が間違っていたことを知る。

 

本当に、鳥肌が立った。

隣にいた夫(学生時代にオメガファン)も同じだったらしい。

度肝を抜かれる、とはああいうことかもしれない。

声量も、声の伸びやかさも艶も本当にすごくて、私の中の「歌の上手い人」の記憶よりもずっとずっと良かった。

若い頃のシュッとしたイメージしか知らないから、がっちりと体格の良くなった姿だけをみたら分からなかったと思う。

でも歌い出したら、声は若い頃の甘くて綺麗なまま、渋みやパワーがさらに増していた。

その時の感動を、うまく文章にできないのがもどかしい。

とにかく、すごかった!!

60代であの歌声、信じられない。

 

杉山清貴、すごかったね~」と帰り道に夫と何度も同じ会話になり、興奮が冷めないまま2月行われたアコースティックソロツアーを予約。

『ライブに行くならもっと知っておかないと!』と、40年の空白を埋めるべくYouTubeを観始めたあたりから、沼にハマっていく。

 

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で、アコースティックソロツアーで再び感動。

「やっぱりオメガライブも行きたいよね!」となり、先週ついに杉山清貴&オメガトライブ40周年ツアーに。

ライブ、素晴らしかった!楽しかった!

オメガトライブツアーとしては40周年でひと区切り、のようなこともインタビューに載っていたので、今回こうして足を運べたのは本当に幸運だったと思う。

 

ここ数か月で3度も杉山清貴さんの生歌を聴いたら、それはもう、夢中になってしまうのは自然な流れだと思う。

本当ににわかで申し訳ないけれど、毎日「杉山清貴漬け」になっていて夫にも呆れられている。

40年ずっとリアルタイムで杉山さんの歌を聴き続けてきて応援してきた人達はすごいな、と思う。

羨ましいな、とも思う。

どうして今まで気がつかないできちゃったのかな、と思う。

 

YouTubeで観る昔の姿や声も素敵だけれど、断然、今の杉山さんの年齢を重ねた姿や歌声が好きだ。

あんなにカッコいい60代が存在しているとは思わなかった。

会話の中の語り口調や声も、すごく穏やかで優しくて、癒される。

サングラスをかけた姿もいいけれど、外して歌っている時の表情がとても素敵で、YouTubeでもサングラスなしの動画を探してしまう。

気持ちよさそうに歌う姿を見ているだけで、こちらも幸せホルモンがあふれるようだ。

身体の中を爽やかな風が吹き抜けていくような、キラキラした空気に包まれるような、そんな感覚になる。

 

誰かにこんなに夢中になる感覚、本当に久しぶりだ。

ワクワク(って死語なのかな)するような、切ないような、なんとも言えない感じ。

夢中になれる対象があるって、毎日に張りが出ていいね。

またライブに行こう、それまで頑張ろう、って気持ちになります。

 

 

認知症母の不思議な言動の理由を想像してみる

帰省中。

実家を空けるのは2週間くらいなので、パッと見る限り大きな変化はない。

2週間ぶんのホコリや汚れはそれなりに溜まっているから、実家に到着して最初にやることは掃除と洗濯だ。

掃除をしながら、母が「見当たらない」と電話で言っていた洗顔用のターバンをみつけたり、郵便物が思わぬところにはさみこんであったりするのを発見したりして、少しづつ家の中をリセットしていく。

着くなりバタバタする私の様子に母も落ち着かないのか「ちょっとゆっくり座ったら?」とか「そんなに汚れてた?」とか言うけれど、自分の手で綺麗にしないことには私もどうにも落ち着かない。

 

家の中を綺麗にしたら、次は母を綺麗に。

認知症の人あるあるで、母もすんなりとはお風呂に入ってくれない。

お約束のように「今日はやめておく」と抵抗するけれど、入った後は、「気持ちよかったー、ありがとうー」と機嫌良く感謝の意を述べるのもいつものことだ。

洗ってフワフワになった白い髪、艶々と赤く上気した頬でメイバランス(母の栄養ジュース)を飲む母の姿をみて、私の遠距離介護の大きな仕事の1つが無事に終わったことに安堵する。

 

母の寝室に入った時、いつもと机の上の様子が少し変わっていることに気がついた。

シップや絆創膏を入れたケースが壁際までずらしてあり、20センチ四方ほどのスペースが作られている。

その中央に、缶ジュースとミカンが置かれていた。

母は置きっぱなしのまま忘れていることが多いので、ジュースとミカンはリビングに戻しておいた。

その日の夜、寝室で布団を敷きながら(帰省中は、母のベットの下に私の布団を敷いて寝ている)なんとなく母に聞いてみた。

 

ここにあったジュースとミカン、リビングに持っていったよ

あー、それは、ほら、お飾りしてあったんだけど……

お飾り?

ほら、あそこから、ちょうどまっすぐのところに……

 

母が見上げて指で示す方向には、エアコンがあった。

頭の中が「?」でいっぱいになったが、どうやら、エアコンに向かって、何か物を置いておかなかればいけないと思い込んでいるらしい。

どうしてそういうことになったのか。

とりあえず、エアコンにはお飾りの必要はないことを説明したけれど、もしかしたらエアコンのパネルが開いた状態が、神棚のように見えたのだろうか。

私の説明にも今一つ納得していない様子なので、これからも「お飾り」して眠るのかもしれない。

あくまで私の想像で、もっと他に理由があるのかもしれないけれど。

 

ここ最近、午後になると、「○○さんのところに行く日だから」と言うのも増えてきた。

〇〇さんというのは、母のかかりつけの病院だ。

私が帰省中は2人で行き、お薬をもらってくる。

前日に行ったばかりなのに、そのことを忘れている母は「今日、行かなきゃいけないんじゃない?」と言って、いくら説明してもなかなか納得してくれない。

「3,000円払ってこなきゃ」とか「来なさいって電話もらった」とか言い出すと、こちらもイライラして声が強くなってしまう。

認知症の人特有の、夕暮れ症候群のひとつなのかな。

母は現金を持っていないし足も悪いので、実際に1人で出かけてしまうことは(今は)ない。

仮に出かけてしまったとしても、行った先が病院なら私に連絡が入るだろう。

 

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認知症の人が出ていったまま行方不明になってしまう案件が問題になっているけれど、「行かなきゃ」という思いに囚われている母をみているとすごく不安で、こちらもモヤモヤしてしまう。

 

リビングで母とテレビを観ていたら、認知症予防のサプリメントの宣伝番組が入った。

さかんに連呼されるサプリの名前に、覚えがあった。

先月の帰省の際、テーブルの上に母の書いたメモがあり、そこに書かれていた名前と電話番号を調べてみたらサプリメントだったというやつだ。

 

aoi50202204.hatenablog.com

 

てっきり営業電話がかかってきたのかと思っていたけれど、メモの出どころは宣伝番組だったのだ。

テレビからは「皆様、メモのご準備はよろしいでしょうか?」と女性が高い声を出している。

きっと母も、この言葉にうながされてメモしたんだろうな。

「最近忘れっぽくありませんか?」の言葉に反応したのかな。

素直にメモする母の姿を想像したら、なんか切ない。

母が実際に契約していないことはすでに確認済みだけれど、こうやって年寄りはだまされちゃうんだろうな……と思ってしまう。

サプリメント会社がそうだといっているわけではない)

1人で過ごすことの多い母を、この先もずっと無事に守れるだろうか。

 

 

老化と痛み、自分で感じて初めて気づくこと

お風呂上り、左耳上あたりの頭皮がちょっと痒いなぁと思い、湿疹でもできていたら嫌だなーと鏡の前で髪をめくってみたら、白髪がそこだけ一気に増えていて、思わず「あらら……」と声が出た。

分け目あたりの白髪はあったけど、髪が多くて厚みがあるので、下のほうまでは気にしていなかった。

歳のわりに白髪は少ないんじゃないかと思っていたけれど、単に気がついてなかっただけなのか。

以前にも、白髪が増えた時期と頭皮が痒かった時期が重なっていたことがあったけど、なにか因果関係があるのかな。

 

50過ぎという年齢は皆さんそうなんだろうけど、最近、すごい勢いで老化が進んでいるのを感じる。

人間の身体っていうのは歳に忠実だよね、素直だよね、と感心すらおぼえる。

白髪や老眼はいうまでもなく、最近は身体の中の女性ホルモンが減っているのを実感。

3ヵ月程前に突然始まった「ばね指」がそれだ。

朝起きて、なんか左の中指の動きがおかしいな……スムーズに動かせないな……となり、最初は起き抜けだけの現象だったのが、1日を通して起こるようになった。

手指専門の整形外科に行って検査をしてもらった結果、「ばね指」という診断に。

一度折り曲げるとなかなか元の位置に戻らず、無理に戻そうとすると「ガクン」と言う感じで「ばね」のように跳ね上がる。

エストロゲンが少なくなってくると起こりやすくなるんだとか。

 

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中指1本とはいえ、曲げて固まったまま動かせない状態になると、思った以上に不都合が出る。

今朝は、サプリメントを飲もうと左手に数粒出し、握って口に運ぼうと思った瞬間に中指が動かなくなって、サプリを床に落としてしまった。

あまり意識したことがなかったけど、物を握る時に、真ん中に位置する中指の役割は大きいのだ。

炭酸水のペットボトルのフタを開ける時もそうだ。

フタ自体は右手で開けるから問題ないようだけど、開けるためには左手でしっかりと本体を握っている必要がある。

中指が1本使えないと、まったく力が入らないのだ。

90歳を過ぎた義母がペットボトルを開けにくそうにしていたのを思い出し、『歳をとるって、こういうことなんだなぁ』としみじみしてしまう。

 

数日前からは、左の腰に痛みを感じている。

立って歩くのには困らないけれど、椅子に座ったり、眠る時に布団の上に座ったりする姿勢がつらい。

 

なんだろう。

歳上の夫に老眼が始まった頃、私にはまだなんの兆候もなく、「大変だなぁ」とは思ったものの、全くの他人事だった。

叔母が腰痛に悩んでいることを聞いたときも、「かわいそうだな」と心配しながらも、その痛みを想像したところで、分かってあげられるわけではない。

コロナにしても、インフルエンザにしても、実際に自分が熱で苦しんでみて、初めて思う。

「あー、これはしんどいわ。みんな辛かったんだなー」って。

痛みやしんどさは自分が経験するまで分からないし、その程度や感じ方だって人それぞれで、人の数だけ「痛み」は存在するんだろう。

 

股関節に人工関節を入れている母は、よく足の痛みを訴える。

整形の先生によると、レントゲンには何の問題もなく、座っている時間が長いことによる筋肉のこわばりが原因じゃないかと言われている。

実際、母が痛みを訴えるのは立ち上がりの時だけで、歩き始めてしまえば痛みは治まる。

週に一度マッサージなどの訪問リハビリも受けているし、針やらなんやら試してみたけれど、今のところ痛みを完全に取り除く方法はないようだ。

だから、ついこちらも痛みの訴えに慣れてしまっているというか、「その痛みは(我慢するしか)しょうがないんだよ」的な反応になってしまう。

 

でも、母は痛いのだ。

私は痛くないから「しょうがないよね」ですませられるけれど、母は痛いのだ。

痛みは行動を抑制するし、気持ちもふさぐ。

痛みがなく自由に動けるって、本当に幸せなことだ。

自分に痛みがない時は、自分が痛かったことすら忘れているけれど、「母の痛み」も「ないこと」にしてはいけないよね。

それは、忘れちゃいけないなと思う。