シン・母 遠距離介護日記+

遠方にいる認知症の母の備忘録を中心に、日常のあれやこれやを書いています。

認知症母の日常サポートと癒しのオイルタイマー

認知症で足の悪い母は、要介護2をもらっている。

定期巡回随時対応型訪問介護サービスを利用していて、毎日お昼と夕方の2回、スタッフさんに来てもらっている。

お弁当の宅配、着がえの手伝い、お洗濯や、携帯電話の充電等のちょっとした困りごとまでサポートしてもらっている。

 

今朝、見守りカメラで母の寝室をみたとき、机の上に白い包み?のようなものが見えた。

几帳面な母らしくきっちり何かを覆っているようだけど、中身が何かがわからないし、カメラ越しで大きさもよくわからない。

前に帰省した時、部屋のすみに置いてあったティッシュの空き箱に、脱いだ紙パンツがきっちり詰められていたことがあった。

着がえは訪問時に手伝ってもらうのだけど、少し汚したか何かで自分で履き替えたのだろう。

一見すると普通にティッシュの箱が置いてあるように見えたから、スタッフさんも気がつかなかったと思われる。

 

カメラに映る白い包みが紙パンツの汚れ物だったら困るな……と思い、スタッフさんにメッセージを入れ、訪問時に確認してもらうようにお願いした。

 

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数時間後、スタッフさんから連絡があった。

白い包みの中身は、食べた後のみかんの皮だったらしい。

良かった、良かった。

お手数をかけたことをお詫びすると、スタッフさんから次のように返信がきた。

 

「このような連絡はサポートを行う上で非常に助かりますので、遠慮なくお願いします。ありがとうございます」とのこと。

 

本当にありがたい。

向こうもお仕事とはいえ、私がこうして遠距離で生活できているのもスタッフさんのサポートあってのことだ。

訪問介護サービスと私の遠距離介護で、少しでも長く、母が在宅で過ごせたらと願うばかり。

 

話は変わるが、Amazonで購入したオイルタイマーに毎日何気に癒されている。

ただ眺めているだけでストレス解消になる、と説明書きがあったので、そう高い物でもないし……と買ってみた。

 

 

オイルのつぶつぶが、らせん状に滑り落ちていくだけの単純なものだけど、眺めていると確かに時間を忘れる。

ぽよん、としたオイルが弾むように落ちていく様がなんとも可愛い。

無心になるので、確かにストレス解消に良さそうだ。

 

私はこれを、母とビデオ電話で会話する時、横に置くようにしている。

朝のルーティーン、歯磨き、洗顔、栄養ジュース、服薬、の声かけをする時、足の悪い母はゆっくりとしか動けないし、次の動作を声かけしても、すぐに理解できない時もある。

そんな時にイライラしないように、母を待つ間、このゆったりと落ちていくオイルの粒つぶ達を眺めるのだ。

不思議と気持ちが落ち着き、母にも「大丈夫~、ゆっくりでいいから~」と優しい声が出せる気がする。

何事も、イライラしたら負けなのだ。

 

こちらは、夫がどこかでもらってきたウェットティッシュ ↓↓

可愛くて和むので、なんか使えないでいる。

 

 

母にも気持ちがある、という当たり前のことを忘れそうになる

昨日の朝、実家にいた兄から電話がかかってきた。

前夜、遅い時間に兄が帰宅したら、母がまだリビングでウロウロしていたという。

すでに日付が変わった深夜だったので、半分叱るようにして寝室にいかせ、自分も就寝したらしい。

で、今朝になってキッチンを見てみると、レンジの中のターンテーブルが外に出されていて、その上にトースターから外したと思われる謎の板(どの部分から抜き出したのかが分からない)が重ねてあったらしい。

その数日前にも、まな板が定位置から消えていたらしく、兄が探したとのこと。

 

「もう、いいかげんにしてほしいんだよ」と私に報告する兄の声は相当苛立っていた。

 

兄は、幼い頃からあまり母と相性が良くない。

大学を卒業してから県外に出たけれど、年に数度の帰省時でさえ、顔を合わせれば衝突していた。

母が兄の地雷を踏み、兄が激怒するのが毎回のパターンで、私からみれば『なんで、そうなっちゃうの~??』と理解に苦しむシチュエーションが多かった。

 

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今は仕事の関係で県外の自宅と実家を行き来しているが、なにぶん忙しいので、実家に滞在していても、母と顔を合わせるのは朝出かける時くらい。

母が認知症になってから兄もずいぶん母に対して優しくなったというものの、実際に母のケアをすることは到底無理だということは承知している。

実際に母と一緒に過ごせば、その言動にイライラしてしまうことも十分理解できる。

私も実家で母と過ごす数日間の間、ずっと穏やかな気持ちで接することができるかと言えば、難しいこともままある。

 

兄の電話の苛立った声は、おそらくすぐそばに座っている母の耳にも届いているだろう。

母の、萎縮した、でも納得いかないような、複雑な表情が目にみえるようだ。

 

とりあえず兄の話を聞いて電話を切り、兄が仕事に出かけた頃を見計らって母に電話をかけた。

 

母は5~10分前の記憶すら怪しくなっているが、自分が叱られたりしたことや嫌な気持ちはやっぱり残るらしい。

 

「お兄ちゃんに怒られた」

「お母さんが、余計なことをするんだと思う」と言う。

 

母が深夜遅くまでリビングにいて、備品や書類箱に整理されている書類を引っ張り出してしまうことは確かに困ることだし、なによりも睡眠は規則正しくとってほしい。

 

「お母さん、遅くまで起きているのは身体によくないし、あちこちなんでもいじっちゃうと、お兄ちゃんが使いたい時に困るからやめようね。お母さんがお兄ちゃんに怒られるの、お母さんも嫌だろうけど、私も嫌だしね」

 

そう話すと「うん、わかった」と素直にうなずいていたけれど、次の言葉にハッとして、胸を突かれるような気がした。

「お母さんにだって、気持ちはあるから」

 

そうなんだよね……

認知症になってから、無意識に母をコントロールしようとしていたけれど、母だって家の中のことが気になるだろうし、「こうしたい、ああしたい」っていう欲求だってあるよね。

当たり前のことなのに、『とにかく余計なことをせずに、黙って静かにしていてほしい』という残酷なことを、当然のように思ってしまっていた。

 

兄にはメッセージを入れた。

危険がおよぶこと以外は、できるだけ目をつぶってほしい、何か理解できない言動があっても、想定内のことだと受け止めてほしい、ということ。

イライラしてしまうだろうけど、なるべく怒らないであげてほしい、ということ。

 

母が認知症になった当初は戸惑ったり悩んだりしたけど、時間が経つにつれて「認知症の母」がノーマルになり、母を1人の意思を持った人として扱っていなかったのかもしれない。

かといって、いくら母が好きなように自由にやらせてあげたいと思っても、実際に1人で生活できない状況になっているのだし、病気はこれからも進行していくものだ。

どこまで本人の意思を尊重するべきなのか、行動を本人の意思に任せていいのか、という問題は大きくなってくるはずだ。

 

これからも手探り状態が続いていくんだろう。

母、兄、私、それぞれ自分の人生があるし、共倒れになるわけにはいかないのだし。

私だって自分に与えられたものの中で「より良く」生きていきたいと思っている。

私の中で「母を、穏やかな状態、気持ちで看取る」ということが、大切な使命というか願いになっているから、母のためにも、自分のためにも、そこはどうにか乗り越えたい。

 

追記:

私、「AIタイトルアシスト機能」を入れてるんですが……

(実際には、まるっと使用することはないのですが、ヒントにさせてもらったりすることはあります)

今回も一応ポチっと押してみたら、ソーシャルメディア向けタイトルにこんなの出ました。

 

「深夜の謎解き:ウロウロ母と消えたまな板 #サスペンス」

 

思わず笑ってしまいました。

『これ、サスペンスだったのか!笑』って。

自動アシスト機能、面白いです。

和みます。

 

 

杉山清貴沼にハマってしまって

もう自分でもどうしちゃったのかと思うくらいに、ハマってしまった。

元々オメガ時代にファンだった夫に誘われて行ったライブだったのに、私のほうがドハマりしてしまった。

 

きっかけは昨年11月に行った「林哲司の世界 ザ・シティ・ポップ・クロニクル」だ。

aoi50202204.hatenablog.com

 

寺尾聡、稲垣潤一佐藤竹善、杏里、菊池桃子松本伊代らと一緒に、杉山清貴&オメガトライブも出演していた。

曲はもちろん知っていたけれど、盛んにテレビ出演していた頃、私はまだ中学生。

サングラスをかけて歌う姿や曲の雰囲気は大人びていて、子どもの私にはそれほど刺さらなかった。

甘くて伸びやかな声で繰り返されるサビの部分だけが、記憶に残っている。

気がついたらカルロス・トシキ&オメガトライブになっていたし、そのうち杉山さんはハワイに行ったこともあってか、あまり目にする機会がなかった。

だから、本当に失礼ながら(今となっては悔やまれるのだけど)私の中で杉山清貴さんは「あの人は今」の位置づけにいたと思う。

この時のライブで生歌を聴いた瞬間、そんな自分の認識が間違っていたことを知る。

 

本当に、鳥肌が立った。

隣にいた夫(学生時代にオメガファン)も同じだったらしい。

度肝を抜かれる、とはああいうことかもしれない。

声量も、声の伸びやかさも艶も本当にすごくて、私の中の「歌の上手い人」の記憶よりもずっとずっと良かった。

若い頃のシュッとしたイメージしか知らないから、がっちりと体格の良くなった姿だけをみたら分からなかったと思う。

でも歌い出したら、声は若い頃の甘くて綺麗なまま、渋みやパワーがさらに増していた。

その時の感動を、うまく文章にできないのがもどかしい。

とにかく、すごかった!!

60代であの歌声、信じられない。

 

杉山清貴、すごかったね~」と帰り道に夫と何度も同じ会話になり、興奮が冷めないまま2月行われたアコースティックソロツアーを予約。

『ライブに行くならもっと知っておかないと!』と、40年の空白を埋めるべくYouTubeを観始めたあたりから、沼にハマっていく。

 

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で、アコースティックソロツアーで再び感動。

「やっぱりオメガライブも行きたいよね!」となり、先週ついに杉山清貴&オメガトライブ40周年ツアーに。

ライブ、素晴らしかった!楽しかった!

オメガトライブツアーとしては40周年でひと区切り、のようなこともインタビューに載っていたので、今回こうして足を運べたのは本当に幸運だったと思う。

 

ここ数か月で3度も杉山清貴さんの生歌を聴いたら、それはもう、夢中になってしまうのは自然な流れだと思う。

本当ににわかで申し訳ないけれど、毎日「杉山清貴漬け」になっていて夫にも呆れられている。

40年ずっとリアルタイムで杉山さんの歌を聴き続けてきて応援してきた人達はすごいな、と思う。

羨ましいな、とも思う。

どうして今まで気がつかないできちゃったのかな、と思う。

 

YouTubeで観る昔の姿や声も素敵だけれど、断然、今の杉山さんの年齢を重ねた姿や歌声が好きだ。

あんなにカッコいい60代が存在しているとは思わなかった。

会話の中の語り口調や声も、すごく穏やかで優しくて、癒される。

サングラスをかけた姿もいいけれど、外して歌っている時の表情がとても素敵で、YouTubeでもサングラスなしの動画を探してしまう。

気持ちよさそうに歌う姿を見ているだけで、こちらも幸せホルモンがあふれるようだ。

身体の中を爽やかな風が吹き抜けていくような、キラキラした空気に包まれるような、そんな感覚になる。

 

誰かにこんなに夢中になる感覚、本当に久しぶりだ。

ワクワク(って死語なのかな)するような、切ないような、なんとも言えない感じ。

夢中になれる対象があるって、毎日に張りが出ていいね。

またライブに行こう、それまで頑張ろう、って気持ちになります。

 

 

認知症母の不思議な言動の理由を想像してみる

帰省中。

実家を空けるのは2週間くらいなので、パッと見る限り大きな変化はない。

2週間ぶんのホコリや汚れはそれなりに溜まっているから、実家に到着して最初にやることは掃除と洗濯だ。

掃除をしながら、母が「見当たらない」と電話で言っていた洗顔用のターバンをみつけたり、郵便物が思わぬところにはさみこんであったりするのを発見したりして、少しづつ家の中をリセットしていく。

着くなりバタバタする私の様子に母も落ち着かないのか「ちょっとゆっくり座ったら?」とか「そんなに汚れてた?」とか言うけれど、自分の手で綺麗にしないことには私もどうにも落ち着かない。

 

家の中を綺麗にしたら、次は母を綺麗に。

認知症の人あるあるで、母もすんなりとはお風呂に入ってくれない。

お約束のように「今日はやめておく」と抵抗するけれど、入った後は、「気持ちよかったー、ありがとうー」と機嫌良く感謝の意を述べるのもいつものことだ。

洗ってフワフワになった白い髪、艶々と赤く上気した頬でメイバランス(母の栄養ジュース)を飲む母の姿をみて、私の遠距離介護の大きな仕事の1つが無事に終わったことに安堵する。

 

母の寝室に入った時、いつもと机の上の様子が少し変わっていることに気がついた。

シップや絆創膏を入れたケースが壁際までずらしてあり、20センチ四方ほどのスペースが作られている。

その中央に、缶ジュースとミカンが置かれていた。

母は置きっぱなしのまま忘れていることが多いので、ジュースとミカンはリビングに戻しておいた。

その日の夜、寝室で布団を敷きながら(帰省中は、母のベットの下に私の布団を敷いて寝ている)なんとなく母に聞いてみた。

 

ここにあったジュースとミカン、リビングに持っていったよ

あー、それは、ほら、お飾りしてあったんだけど……

お飾り?

ほら、あそこから、ちょうどまっすぐのところに……

 

母が見上げて指で示す方向には、エアコンがあった。

頭の中が「?」でいっぱいになったが、どうやら、エアコンに向かって、何か物を置いておかなかればいけないと思い込んでいるらしい。

どうしてそういうことになったのか。

とりあえず、エアコンにはお飾りの必要はないことを説明したけれど、もしかしたらエアコンのパネルが開いた状態が、神棚のように見えたのだろうか。

私の説明にも今一つ納得していない様子なので、これからも「お飾り」して眠るのかもしれない。

あくまで私の想像で、もっと他に理由があるのかもしれないけれど。

 

ここ最近、午後になると、「○○さんのところに行く日だから」と言うのも増えてきた。

〇〇さんというのは、母のかかりつけの病院だ。

私が帰省中は2人で行き、お薬をもらってくる。

前日に行ったばかりなのに、そのことを忘れている母は「今日、行かなきゃいけないんじゃない?」と言って、いくら説明してもなかなか納得してくれない。

「3,000円払ってこなきゃ」とか「来なさいって電話もらった」とか言い出すと、こちらもイライラして声が強くなってしまう。

認知症の人特有の、夕暮れ症候群のひとつなのかな。

母は現金を持っていないし足も悪いので、実際に1人で出かけてしまうことは(今は)ない。

仮に出かけてしまったとしても、行った先が病院なら私に連絡が入るだろう。

 

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認知症の人が出ていったまま行方不明になってしまう案件が問題になっているけれど、「行かなきゃ」という思いに囚われている母をみているとすごく不安で、こちらもモヤモヤしてしまう。

 

リビングで母とテレビを観ていたら、認知症予防のサプリメントの宣伝番組が入った。

さかんに連呼されるサプリの名前に、覚えがあった。

先月の帰省の際、テーブルの上に母の書いたメモがあり、そこに書かれていた名前と電話番号を調べてみたらサプリメントだったというやつだ。

 

aoi50202204.hatenablog.com

 

てっきり営業電話がかかってきたのかと思っていたけれど、メモの出どころは宣伝番組だったのだ。

テレビからは「皆様、メモのご準備はよろしいでしょうか?」と女性が高い声を出している。

きっと母も、この言葉にうながされてメモしたんだろうな。

「最近忘れっぽくありませんか?」の言葉に反応したのかな。

素直にメモする母の姿を想像したら、なんか切ない。

母が実際に契約していないことはすでに確認済みだけれど、こうやって年寄りはだまされちゃうんだろうな……と思ってしまう。

サプリメント会社がそうだといっているわけではない)

1人で過ごすことの多い母を、この先もずっと無事に守れるだろうか。

 

 

老化と痛み、自分で感じて初めて気づくこと

お風呂上り、左耳上あたりの頭皮がちょっと痒いなぁと思い、湿疹でもできていたら嫌だなーと鏡の前で髪をめくってみたら、白髪がそこだけ一気に増えていて、思わず「あらら……」と声が出た。

分け目あたりの白髪はあったけど、髪が多くて厚みがあるので、下のほうまでは気にしていなかった。

歳のわりに白髪は少ないんじゃないかと思っていたけれど、単に気がついてなかっただけなのか。

以前にも、白髪が増えた時期と頭皮が痒かった時期が重なっていたことがあったけど、なにか因果関係があるのかな。

 

50過ぎという年齢は皆さんそうなんだろうけど、最近、すごい勢いで老化が進んでいるのを感じる。

人間の身体っていうのは歳に忠実だよね、素直だよね、と感心すらおぼえる。

白髪や老眼はいうまでもなく、最近は身体の中の女性ホルモンが減っているのを実感。

3ヵ月程前に突然始まった「ばね指」がそれだ。

朝起きて、なんか左の中指の動きがおかしいな……スムーズに動かせないな……となり、最初は起き抜けだけの現象だったのが、1日を通して起こるようになった。

手指専門の整形外科に行って検査をしてもらった結果、「ばね指」という診断に。

一度折り曲げるとなかなか元の位置に戻らず、無理に戻そうとすると「ガクン」と言う感じで「ばね」のように跳ね上がる。

エストロゲンが少なくなってくると起こりやすくなるんだとか。

 

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中指1本とはいえ、曲げて固まったまま動かせない状態になると、思った以上に不都合が出る。

今朝は、サプリメントを飲もうと左手に数粒出し、握って口に運ぼうと思った瞬間に中指が動かなくなって、サプリを床に落としてしまった。

あまり意識したことがなかったけど、物を握る時に、真ん中に位置する中指の役割は大きいのだ。

炭酸水のペットボトルのフタを開ける時もそうだ。

フタ自体は右手で開けるから問題ないようだけど、開けるためには左手でしっかりと本体を握っている必要がある。

中指が1本使えないと、まったく力が入らないのだ。

90歳を過ぎた義母がペットボトルを開けにくそうにしていたのを思い出し、『歳をとるって、こういうことなんだなぁ』としみじみしてしまう。

 

数日前からは、左の腰に痛みを感じている。

立って歩くのには困らないけれど、椅子に座ったり、眠る時に布団の上に座ったりする姿勢がつらい。

 

なんだろう。

歳上の夫に老眼が始まった頃、私にはまだなんの兆候もなく、「大変だなぁ」とは思ったものの、全くの他人事だった。

叔母が腰痛に悩んでいることを聞いたときも、「かわいそうだな」と心配しながらも、その痛みを想像したところで、分かってあげられるわけではない。

コロナにしても、インフルエンザにしても、実際に自分が熱で苦しんでみて、初めて思う。

「あー、これはしんどいわ。みんな辛かったんだなー」って。

痛みやしんどさは自分が経験するまで分からないし、その程度や感じ方だって人それぞれで、人の数だけ「痛み」は存在するんだろう。

 

股関節に人工関節を入れている母は、よく足の痛みを訴える。

整形の先生によると、レントゲンには何の問題もなく、座っている時間が長いことによる筋肉のこわばりが原因じゃないかと言われている。

実際、母が痛みを訴えるのは立ち上がりの時だけで、歩き始めてしまえば痛みは治まる。

週に一度マッサージなどの訪問リハビリも受けているし、針やらなんやら試してみたけれど、今のところ痛みを完全に取り除く方法はないようだ。

だから、ついこちらも痛みの訴えに慣れてしまっているというか、「その痛みは(我慢するしか)しょうがないんだよ」的な反応になってしまう。

 

でも、母は痛いのだ。

私は痛くないから「しょうがないよね」ですませられるけれど、母は痛いのだ。

痛みは行動を抑制するし、気持ちもふさぐ。

痛みがなく自由に動けるって、本当に幸せなことだ。

自分に痛みがない時は、自分が痛かったことすら忘れているけれど、「母の痛み」も「ないこと」にしてはいけないよね。

それは、忘れちゃいけないなと思う。

 

 

 

帰省中の記録と認知症母の迷惑電話対策

帰省中。

午前中、母を連れてかかりつけの病院へ。

介護認定更新のための主治医意見書の書類がケアマネージャーさんから届いていて、診察の後に、生活状況の確認と母への簡単な認知症テストがあった。

いつもは半年に一度大学病院で検査を受けているので、かかりつけの先生から質問されるのは初めて。

心の準備なく始まったテストに母はすっかりテンパってしまい、年号、日付はもちろん、わりに得意なはずの引き算の質問にもほとんど答えられない。

こういう光景は隣で何度も見ているけれど、「どうしよう、出てこない」「おかしいですよね」「ごめんなさい、先生」とオロオロしながら繰り返す母がかわいそうで切ない。

こういう時の母の気持ち、どんなんだろうと想像してみる。

パートの研修中、慣れない作業にテンパって、頭が真っ白になった時のことを思い出す。

ああいう時って、質問されればされるほど、ますます焦ってしまうんだよね。

できない自分が恥ずかしくて、自己嫌悪になる感じ。

つらいわー。母にイライラしそうになったら、その時のことを思い返そう。

 

もうね、いいんです。

令和がわからなくても、日付がわからなくても、引き算ができなくても。

ご飯が食べられて、夜ぐっすり眠れて、1人でトイレに行くことができて、私が次に帰るまで元気で機嫌よく待っててくれれば。

認知症は進むものだし、このままの生活は望めないのかもしれないけど、なんとかどうにかやっていけたらな。

 

母が認知症になってからの「困りごと」にはキリがない。

ひとつ解決したら、また次の「困りごと」。その繰り返しだ。

最近気になっていたのが、実家の固定電話のこと。

一応、非通知と県外、0120は着信拒否に設定できるようになっている。

ふだんは留守番電話にしていて、登録した番号以外の電話はとらないように伝えているし、「知らない番号はとらないこと!!」と貼り紙もしていたので、それで迷惑電話対策はとれていると思っていた。

でも、どうやら「知らない番号」もとってしまっているらしい。

 

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前回の帰省時、テーブルの上にメモがあり、母の字で会社名と番号が書いてあった。

嫌な予感がしてネットで調べたら、サプリメント会社だった。

思わず不安になり電話をかけて確認したところ、契約はしていなかったけれど、他にも怪しい電話を受けているのではないかと心配になってしまった。

いっそ固定電話をやめてしまえば……とも考えたけど、最近母がスマホを寝室に置きっぱなしにしてリビングに入ってしまうことが多くて、固定電話にかけることも多い。

緊急時の呼び出しのことを考えると、やめてしまうわけにはいかないだろう。

ケーブルプラス電話「迷惑電話自動ブロック」も検討してみたけれど、回線状況が悪いとつながらないこともあるとコメントでみて諦めた。

 

で、困った時のAmazonで探してみたところ「KOBAN電話録音機 防犯対策」なる機器を見つけた。

外線がかかると自動的に警告メッセージを読み上げてくれて、録音もしてくれる。

一定の防犯効果はあると思うし、何も対策しないよりは安心感がある。

 

 

外線がかかると黄色いランプがピカピカして母が気にするので、テープを貼った。

細かい操作はどっちにしてもできないので、あれこれいじらないように「触らないでください」も。

とりあえず、これで様子をみてみることにする。

 

認知症の母の電話には、時々大切な用件も含まれている

母の認知症が進むにつれ、その記憶力はますます怪しいものになっている。

時には5分前の会話や行動さえ忘れてしまうこともあるし、会話の内容も、半分夢?というか妄想的なものも混じっていたりする。

明らかにつじつまの合わないことを電話で訴えてきた時には「お母さん、今うたた寝してた?夢見てた~?」とか聞くことにしている。

母本人も自信がないらしく「そうかもしれない。お母さん、ちょっとおかしいの……」とか口ごもったりすることも多い。

そんな状態が平常になってくると、こちらもそれに慣れつつあるというか、母が何かを言ってきても話半分に聞いてしまうことも多くなった。

でも、母が本当に大事なことを伝えてくる時もある、と認識させられた出来事があった。

 

ある日の午後、母のほうから電話がかかってきた。

うたた寝の後なんかに不穏になってかけてくるパターンが多いので、その日もそんな感じかと思って電話をとった。

すると、「なんか今電話があって、〇〇さんの息子さんだっていうんだけど、お母さん、足が悪いし、お義母さんも亡くなってるしって言ったんだけど」と言う。

母が私に繰り返し伝えるのはその言葉だけで、肝心の「先方が伝えてきた内容」については覚えていないようだ。

けれど、「〇〇さんの息子さん」というのは心当たりがある実在の人物だった。

私の祖母、母にとっては義理の母方の親戚で、ここ数年は交流が途絶えていたけれど、

おそらく、そこのおじさんが亡くなったのではないかと推測した。

そこで、ネットで地元新聞のお悔やみ欄を遡って検索してみるも、名前は出てこない。

間違いがあってはならないので、どうにかして息子さんに真偽を確認しなければならない。

ついでに、母に認知症が始まったこともお伝えせねばならないだろう。

おそらく、以前の母とは全く異なる対応だったはずで、(おそらく察してくれたとは思うけれども)戸惑ったはずだし、失礼があったかもしれない。

電話番号がわからなかったので、私の記憶の中のおじさんの名前とおおよその住所で検索してみる。

最近は個人情報の管理が厳しいし、ネットの電話帳に載っているだろうか……と思ったら、載っていた!

念のため、住所をグーグルマップで調べてみたら、以前訪ねたことがある〇〇さんの家と一致。

良かった!ビンゴ!

息子さんとは数十年会っていないから、電話をかけるのにも妙に緊張してしまう。

 

私の携帯から2日続けて電話をかけたものの、つながらず。

3日め、携帯に「非通知」で電話があり、ピンときて出てみたら息子さんだった。

名乗ったら、「あ~、〇〇ちゃん?」とすぐに分かってくれてホッとした。

知らない携帯番号だったので最初は怪しい電話かと放置したけれど、何度も着信があったので気になってかけてきてくれたそう。

やはりおじさんが亡くなっていて、「一応お知らせしておこうと思って」ということだった。

 

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事情を説明してお詫びし、(母のことはやっぱり察してくれていた)聞かれるままにこちらの近況も少しお伝えして電話を切った。

後日、兄が香典とお供えを持って行ったのだけれど、母からの電話がなかったらそれっきりになっていただろうと思う。

兄と、母が忘れてしまう前にすぐに知らせてきたことに感心し、「お母さんの話、わけがわからないと思っても、実は大事なこと伝えてくる時があるから、ちゃんと話は聞かなきゃね」ということになった。

母は昔から、とても生真面目で責任感の強い人だったことも思い出した。

認知症になっても、そういう部分は残っているんだろうな。

とりあえず、今回のことは無事に解決したけれど、私や兄の気がつかないところでスルーしてしまっていることも多いのかもしれない。

考えだしたら心配になってキリがないのだけれど、認知症の母を1人で置いているのだから、そういったリスクは常にある。

町内のこととかもご迷惑をかけないように、根回しをちゃんとしておかなければいけないな……

電話とかも、すべて私のところに転送とかできるといいんだけど、何かしら方法があるのか調べてみようかな。

んー、考えだしたら不安でいっぱいになってきた。

とりあえず、コーヒー淹れて気持ちを切り替えます。