本日の母の記録
昨日は、週に1度の訪問リハビリの日だった。
母が足の手術をした病院から、理学療法士さんに来てもらっている。
足のマッサージや、廊下や階段を使った軽い運動を、40分ほど。
以前、送迎付きのデイケアも試したことがあった。
でも、母には荷が重かったようだ。
「足が痛いから行きたくない」のお休みが増え、2回続き、3回続き……最終的に行かなくなった。
担当の相談員さんに聞いたところ、施設に行ってもソワソワと落ち着きがなかったらしい。
私は大丈夫だから、他の方を看てあげてちょうだい
私はタクシーで帰りますので、もう大丈夫です
毎回こんな調子で、施設の人たちを困惑させていたようだ。
それでもこの時は、今よりも認知症は進んでいなかった。
自分で施設パンフレットに載った電話番号にお休みの連絡を入れていたし、デイケアでの様子も、帰ってから私に話してくれる程度の記憶力はあった。
今の母は、その日リハビリの先生が来たことすら、忘れてしまう。
1年。
考えてみたら、たった1年前のことだ。
去年の今頃、母がまだ1人でも出来た「あんなこと」や「こんなこと」を思い浮かべながら、なんだか切ない気持ちになる。
母の1年と私達の1年は、進むスピードが違うのだ。
リハビリが終わった後、母とビデオ通話。
スマホの画面の向こうで、母がお弁当を食べていた。
いつもの「食べたくないの」も「このお弁当、私のじゃないの」もなく、素直に食べてくれていた。
リハビリで軽く動くことで、お腹が空いたのかもしれない。
いいことだ。
急に、スマホの画面に口元を近づけ、ささやくような小さな声で、私に尋ねた。
おばあちゃんは、どうしてるのかな
周りに聞かれたくないことを、声をひそめて話す時の雰囲気で、ヒソヒソ声を出す。
おばあちゃんって〇〇さんのこと?
そう。今、どうしているんだっけ?
〇〇さん、とは私の父方の祖母。母にとっては姑で同居していたが、10年前に亡くなっている。
亡くなったよ。10年経つよ。お母さんと2人で、病院で看取ったよ
そう……。お母さん、忘れちゃった。そういうことあったら、また教えてね。
わかった。……なんで、誰もいないのに、そんな小声なの?
なんとなく、こんなこと人に聞かれちゃ、良くないかと思って
おかずをモグモグ食べながら、小声で真剣に話す母をみて、申し訳ないけれど、なんだか可笑しくて笑ってしまった。
私が笑ったので、母もなんだか可笑しくなったらしい。
2人でしばらくクスクス笑っていた。
母が認知症でも、なにもかも忘れてしまっても、なんでもいい。
2人でこうして楽しい時間があれば、それでいい。
ちょっと雑談 購入した本のこと
本を2冊、購入した。
最近はもっぱらkindleでの購入が多かったけれど、1冊は本屋での衝動買い。
もう1冊は電子版がなかったので、久しぶりに紙の本を取り寄せ。
こうして手に取ってみると、やっぱり本の重みっていいなと思う。
ページをめくる感覚も、ふわりと漂ってくる独特の匂いも、懐かしい感じがする。
「心をととのえるスヌーピー」
チャールズ・M・シュルツ
訳:谷川俊太郎
監修:枡野俊明
夫と食事をした帰り、立ち寄った本屋で購入した。
ほろ酔いで店内をぶらぶらしていて、最初は表紙のスヌーピーに目が留まっただけだったけれど、なんとなく今の私にピッタリくるような気がした。
見開き2ページに、一つの禅の言葉、スヌーピーのコミックが載っている。
その日の気分で、パッとページを開いて読むのが楽しい。
「認知症の人を愛すること」曖昧な喪失と悲しみに立ち向かうために
ポーリン・ボス 著
和田秀樹 監訳
森村里美 訳
Amazonで認知症関連の本を探していた時、「曖昧な喪失」という言葉が目に飛び込んできた。
元気だった頃の大好きな母を失っていくような気持ちを、今まさに体験している私にとって、「これは、私のための本かもしれない」と思った。
まだほんの数ページしか読んでいないけれど、今の私が欲していること、何かしら求めている答えが載っていそうな気がする。
じっくりと、読み進めていこうと思っている。