シン・母 遠距離介護日記+

遠方にいる認知症の母の備忘録を中心に、日常のあれやこれやを書いています。

母の認知症は悲しいだけの病気じゃないのかも

母に認知症の症状が出始めてから、約3年。

初期の頃から、だんだんと進行していく様子をみてきました。

今の母には徘徊や深刻なトイレ問題などが起こっていないので、在宅で1人で過ごすことはできています。

ただ自分で食事を作ったり、洗濯をしたりという家事能力は失ってしまったので、

遠距離介護でまかなえない部分は、ヘルパーさんにお願いしています。

 

母に認知症の兆しが見えた頃、母自身はもちろん不安だったでしょうが、私の戸惑いも相当なものでした。

不安、恐怖、悲しさ、切なさ、哀れみ、愛しさ、怒り、後悔、いろんな感情が混ざり合った状態で毎日過ごしていました。

特に「こんな病気になってしまって、母がかわいそうだ」という気持ちがとても強くありました。

もちろん、今でもそう思います。

母と同じ年頃の人が元気に買い物をしていたり、お友達とお茶をしていたりするのを見かける度に「どうして母が?」と切なくなります。

でも最近になって、少し違った想いも持つようになりました。

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私は幼い頃から、母の話の聞き役になることが多い娘でした。

母の辛かったこと、悲しかったことを多く聞かされて育ちました。

繊細で生真面目な母はいろんなことを正面から受け止めてしまい、私の前でもよく泣いていました。

母が若くして未亡人になってからはなおさら、

「母はかわいそうなんだから、私が聞いてあげないと」という気持ちでした。

母の表情をみて、笑顔でいてくれるとホッとしました。

私が進学や結婚で県外に出たのも、共依存の関係から無意識に逃げた面もあったと思います。

 

そんな母ですが、認知症が進むにつれ、いろんなことを忘れていくようになりました。

生活の面ではもちろん困ることも多いです。

でも、母にとってつらかった経験の記憶も遠く小さくなったようです。

父が亡くなった時のこと、18年近く母と一緒にいた愛犬が死んだ時のことがそうです。

母は思い出す度に泣いていました。

泣きながら詳細を話すので、私が「思い出すと辛いから、もういいよ」というのですが、やっぱり忘れられないらしく、思い出してはまた泣いていました。

本当に、本当に辛そうでした。

今は、父が亡くなったこと、その存在すら忘れてしまっている時があります。

愛犬のことは、ふとした時に名前だけ思い出すらしく「〇〇ちゃん……〇〇って??」と名前をつぶやいておきながら、私に聞いてくることもあります。

きっと、記憶そのものが失われたわけではないのでしょう。

父や愛犬にまつわる思い出に、回路がつながらなくなった、という感じでしょうか。

悲しい過去の記憶に囚われて、泣くことがなくなりました。

認知症になったことは、母にとって悲しいことばかりじゃないとも言えます。

 

最近はこんなこともありました。

私が帰省してしばらく母のそばで過ごした後、遠距離の自宅に戻る日は朝から情緒不安定になります。

「お母さん、1人でどうしたらいい??」とか小さい女の子のようにぐずぐず泣きべそをかいたりします。

そんな母をなだめて家を出て、数時間後に自宅からビデオ電話をかけます。

母は笑顔で電話口に出てきます。

 

私「お母さん、いま(自宅に)帰ってきたよ」

母「〇〇さん、どこから帰ってきたの?」

私「お母さんのところからだよ。今日、お昼まで一緒にいたよね?」

母「えーっ、まさかぁ(笑顔)」

私「………」

 

私と過ごした時間、母のフォローを一生懸命していた時間を忘れてしまったんだろうか、と寂しさを感じる反面、安堵する気持ちもあります。

『母は、私が帰った後、1人寂しく泣いたりしていない』と思うと救われるからです。

 

今の母は、その時その時の瞬間だけを過ごしています。

母にとって「その時にどう感じているか」がすべてのように見えます。

認知症という病気は、人をシンプルな存在にするのかもしれません。

 

だとしたら、母にはできるだけ笑顔で過ごしてほしいと思います。

母のためにもそう願っていますし、私自身のためにも、そう思います。

本日の備忘録

認知症は悲しいだけの病気じゃないと思いたい
人の記憶って奥深い、不思議なものだと思う