母の「あそこの角のお店」の続き
先日、こんなことを書いた ↓↓
今日も、昼食の後しばらくして「あそこの角のお店」についてグズグズと訴え始めた。
こういう時、一緒に外に出て、しばらく歩けば気が済むのかもしれない。
が、外は36度の猛暑だ。
足の悪い母が、ぷらぷら散歩に行けるような気候ではない。
(私も嫌だ)
ちょうどパソコンを開いていたので、グーグルマップのストリートビューを開く。
実家の住所を打ち込むと、画面に実家前の通りが現れた。
便利だ。
体力向上にはならないけれど、エア散歩ができる。
お母さんの言ってるお店ってどこよ?ここからどうやって行くの?
ここの通りを、ずっと踏切近くまで行くのよ。もっとずっと……
母の指示通りに画面を進めていくが、母の目的の店は見つからないようだ。
最初から実在する店かどうかも怪しいので、見つからないのは想定内。
でも、ただ延々と母の訴えを聞いているより、ずっとましだ。
すると、いつもの話よりも、もう少し具体的な話をし始めた。
実際の道をたどるうちに、頭の中が少しクリアになったのだろうか。
お店に行く目的は、兄のカバンを見に行くことだと言う。
カバンの他にも、中高生向けの学生服なんかも置いてあると聞いて、思い当たる店があった。
確かにその店は、母の言う通り「角にある店」だ。
ストリートビューで母に店の外観写真を見せると、母も「もしかしたら、ここかもしれない」と言う。
兄のカバンを見に行くことになっていると話す。
認知症の人の話を否定してはいけないことは分かっている。
これが他人なら、私も適当に話を合わせて、「今日は無理だけど、今度行こう」とかなんとか言うかもしれない。
でも、母には言えない。
他人にならどうとでも言える優しい嘘が、母には言えない。
大人気ないかもしれないけど、適当なことを言いたくない。
母のためというより、自分が納得できないのだろう。
『母にちゃんと理解してもらいたい』という気持ちを、まだ捨てられない。
どう話したら母に分かってもらえるかと思ったけれど、とりあえず話してみた。
兄はすでに50歳を過ぎた大人で、その店に兄の持つカバンは売っていないということ。
何十年も前のことを思い出して、記憶が少し混乱しちゃったんじゃないかということ。
だから、今はもう、そのお店に行く必要はもうない、ということ。
母は心から納得したわけでもない様子だったけれど、「お兄ちゃんが帰ってきたら聞いてみる」とのことで、ようやく落ち着いてくれた。
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夜、兄にメッセージで聞いてみた。
兄がその店に1人で行ったことはあるけれど、母と一緒に行ったことはないらしい。
たとえば夢の中で、小学校の卒業以来一度も会ったことのない同級生が出てくることがある。
当時も特に親しいわけでもなく、名前すら覚えていなかったりする。
寝ている間に、膨大な脳のデータが整理されていると聞いたことがあるけれど、記憶の奥底にあったその子のデータがたまたま出てきたということなのか。
母の頭の中でも似たようなことが起こっているのかな。
私はそれを夢の中のことだと認識しているけれど、母は夢と現実の境界線がなくなっているんじゃないか。
リビングで母がうとうとしている時、睡眠と覚醒のはざまにいて、脳の中でいろんなデータがファイルのようにめくられて、バラバラにされて、意味なくつなげられて……
母が目を覚ましてからも、それを現実の話として私に訴えているように思う。
認知症の人の頭の中で、実際に何が起こっているのかは分からない。
でも、そう考えると、なんとなく納得できるような気がする。
昨日の晩ご飯 なすとトマトとズッキーニのカレー
母はカレーが好きらしい。
食欲があまりない時でも、カレーだけはしっかり食べてくれる。
帰省したら、週に一度は野菜をたっぷり入れたカレーをつくる。
母はもうその時期は過ぎてしまったけれど、認知症予防にもカレーのスパイスはいいらしい。
大学病院の脳神経内科の先生に、そう教えてもらった。
実家でつくるカレーに時間はかけないけれど、それでも美味しくできるのがカレーのいいところだ。
キッチンで料理をしていると母がやたらに気にするし、余った野菜を残していけないので、使いきれる分だけを買う。
カレーの時は、具材がすでにブイヨンで煮込まれてパックになったものがすごく便利。
豚こまを炒めて、切っておいたナス、ズッキーニ、エリンギを一緒に炒める。
お水とブイヨンパックのカレーの具材、トマトを入れ、カレーパートナーの「フォン・ド・ボー」を入れる。
10分煮込んだら、横濱舶来亭のルーを入れて、軽く煮込めば出来上がる。
夫と2人の時は辛口を選ぶけれど、実家では母に合わせて甘口を。
でも、甘口といってもスパイスが強めに効いていて、とても美味しい。
……と書いていたら、また食べたくなってしまった。
またすぐに作ろう。