シン・母 遠距離介護日記+

遠方にいる認知症の母の備忘録を中心に、日常のあれやこれやを書いています。

知り合いがいない土地は気楽だ

先週は実家に行っていて、今は夫のいる東京に戻っている。

あと10日程したら、また実家に行く予定だ。

 

実家に行くことを「帰省」というけれど、こうして文章にする時、「行く」「帰る」または「戻る」のどれを使ったらいいのか、いつも迷ってしまう。

その時の自分の感覚で「行く」「帰る」「戻る」を選んでいるが、もしかしたら正しい使い方があるのかもしれない。

 

いつも感じるのだけど、「知り合いに会う可能性が極めて低い場所」というのはとても気楽だ。

ここ東京は夫の転勤で来ているので、私の知り合いは誰もいない。

歩いていても誰も気に留める人はいない、と分かっているので、変に自意識過剰にならなくてすむ。

 

実家に帰るとそうはいかない。

県庁所在地の街中に位置しているけれど、全国でみても「地味」に分類される県だ。

駅前通りですら、夜8時にもなれば真っ暗になってしまうようなところだ。

実家のまわりは密接して住居があって、「町内のおじさん、おばさん」は今も健在だ。

なぜわかるのか本当に不思議だが、私が実家に帰ってゴミ捨てにでも出れば、「〇〇ちゃーん、帰ってるのね。お母さん、どうしてる??」と駆け寄ってくる。

そういえば、実家に着いて数時間しか経たないのに、いきなりチャイムが鳴ってびっくりしたこともあった。

数日すると、「近所のおばさん1」から伝わったらしく、また別の「近所のおばさん2」から「〇〇ちゃん、帰ってるって聞いたから。お母さん、元気?」と電話があったりする。

 

スポンサーリンク

 

 

 

近所で母と交流のあった方々には、母の認知症のことは早い段階で話してある。

何かトラブルがあってはならないし、母に何か不思議な行動があっても理解してもらえるようにだ。

足の悪い母が1人で外に出ることは余りないので気になるんだと思うし、私も聞かれたことにはそれなりに答えたりする。

 

またある時は、近所に住む幼なじみ(後輩)が犬の散歩に家の前を通りかかったりして、「〇〇さん、帰ってたんですか?」となり、ちょっとした立ち話になったりする。

 

地元あるあるで、それはそれで別にいい。

けれど私としては、「知り合いに会うのなら、ある程度は身綺麗にしないと」という気持ちがある。

子どもの頃から母親に「外に出る時はちゃんとしてなさい」とか「綺麗にしていなきゃだめよ」とか言われていたからかもしれない。

私自身が「いつも会わないからこそ、会った時にはいい印象でいたい」と思ってしまうのかもしれない。

 

そうはいっても、私の「身綺麗」はそう手間のかかるものではない。

メガネをコンタクトに、Tシャツを襟付きシャツに、ユニクロのひざの出た黒レギンスをジーンズかきれいめ黒パンツに変えて、眉毛をきちんと整えるくらい。

それだけのことなんだけれど、それだけのことが億劫な時もあるし、その差は大きい。

 

久しぶりに会った同級生に「〇〇ちゃん、この間△△にいたよね?友達(私はこの友達を直接知らない)に『〇〇さん、見かけたよ』って聞いたから」と言われる。

別にいいのだけれど、なんとなく窮屈な気持ちになってしまうのも、地元ならではだ。

 

多分私は、「まわりのみんなが知り合い」「知らないところで誰かに見られている」「店に行ったら知り合いがいて……」という感じが苦手なんだろうと思う。

転勤の多い夫と一緒に、都度リセットしながら新しい土地へ行くというのも、そういった意味では性に合っているのだろう。

 

決して地元が嫌いなわけじゃないけれど、居心地のいい場所ではないのだ。

(そう言いながら、今も交流のある友人は皆、高校の同級生なのですが)

 

東京にいつまで住むかは分からないけど、ここは楽だなと思う。

今から、定番の服装で、近所のスーパーに買い物に行く。

日常着は、清潔感さえ保てればオッケーだと思っている。

メガネ、Tシャツ(同じ型の色違いを買って、交互に着ている)、ユニクロ黒レギンス。

日焼け止めだけは必ず塗って、眉毛は描いたり、描かなかったり。

 

歩いていて「〇〇ちゃーん!」と呼び止められることもないし、突然チャイムが鳴って誰かが訪ねてくることもない。

心からリラックスして過ごせる、気楽な場所だ。

 

余談だけれど、今日はスーパームーンらしい。

実家にいたら、日課の夜の散歩で、母にスーパームーンを見せてあげられるのに。

散歩コースの橋の上からは、月が綺麗に見えるのだ。

残念。