母が、足の手術でひと月程入院しました。
コロナ禍で面会もできず、その間実家の断捨離に明け暮れました。
母は整理整頓は得意ですが、物が捨てられないタイプ。
洋服だけでなく、日記や家計簿、雑記帳などのノート類から、雑誌、新聞の切り抜きにいたるまで、きっちり保管されていました。
私は真逆で、とにかく捨てたいタイプ。
引っ越しが多く、断捨離に慣れていることもあるでしょう。
不要だと感じたものは、すぐに処分しないと気がすみません。
これまで何度も母に断捨離をすすめましたが、「それはまだ捨てないで」の繰り返しで実行できませんでした。
でも母の認知症が進むにつれ、自分で洋服や物を管理することができなくなりました。
今はどこに何を保管したのか、忘れてしまっているようです。
そこで、思い切って母の留守の間に断捨離を決行することにしたのです。
母がそばにいると、どうしても目が気になってしまって作業がはかどらないですしね。
ゴソゴソやっているとすぐに反応して、「何してるの?」「忙しいのね」「えらいのね」と言われてしまうので落ち着かないんです。
母が大事にとっていたものを勝手に捨てている、という罪悪感もあるんでしょうね。
断捨離中、いろんな思い出の品も出てきました。
趣味でやっていたもの、写真、雑記帳など元気だった頃の母を彷彿とさせます。
いまさら意味のないことなのに、『どの時期から母は変わってしまったのか?』を探ろうとする自分がいます。
『もっと早く気がついてあげられたら』
『もっと母の飲んでいた薬に気を配っていたら』
やっぱりどうしたって後悔が残ります。
元気だった母のことを思い出しながら、なんともいえない切ない気持ちで品々を処分していきました。
不謹慎かもしれないけど、亡くなってしまった人の遺品整理をするような
悲しさと切なさがありました。
母はまだ生きているのに、ちゃんと存在しているのに、私の知っている母を
すでに失ってしまったような寂しさでした。
たった一人でその作業に向き合っていることも、余計に寂しさを募らせました。
私には子どもがいません。
今までそのことを寂しいと感じたことはありませんでした。
でも、もし私に子どもがいて、一緒にこの作業をしてくれていたら。
子どもにとっては祖母である、母の思い出話をいろいろ聞かせてあげられたら。
もっと気持ちが軽く、慰められていたかもしれないと思いました。
いつかは母を看取る日が来るだろうけど、その時には一人で乗り越えていかないといけません。
強くならないと。
強くなって、しっかり母を見送ってあげたいと思いました。