シン・母 遠距離介護日記+

遠方にいる認知症の母の備忘録を中心に、日常のあれやこれやを書いています。

「娘がいないからかわいそう」と認知症の母に言われて、ちょっと複雑

帰省中のこと。

〇〇さん(私)は、娘がいないからかわいそうね

 

認知症になって、ある意味無邪気になった母に、よく言われるようになった。

この間は「赤ちゃんは?」と聞かれて、思わず笑ってしまった。

母は60代くらいで感覚が止まっているので、私が50代だという認識がないのだ。

 

母は、自分が「認知症」だということは理解していないようで、ニュースで認知症関連の話題が出ても、自分事として反応している様子はない。

けれど、「自分は娘(私)のフォローがないと、何もできない」とは思っている。

母の気持ちとしては、『私には助けてくれる娘がいるけれど、この子にはそういう存在がいないから、かわいそう』ということだと思う。

 

私としては、自分の人生はそういうものだと思ってるので、最後1人になった時のことはずっと意識して生きている。

そのための具体的な準備といわれると、「おひとりさまの老後~」系の本を読んだりするくらいのことしかできていないのが実情だけれど、そのことを寂しく思ったり、ことさらに不安に思ったりはしていない。

ものすごく心配症なので、むしろ1人のほうが誰のことも心配しなくていいから気楽だと思うこともある。

それはまだ、私が健康で自分で身体を動かせているからかもしれないし、もっと歳をとったら気弱になるかもしれないけれど。

 

でも母が認知症になって、娘である私は、生活のかなりの部分を母のことに費やすことになっている。

遠距離介護が始まってからは、仕事に就くことも難しくなってしまったし、時間も、お金も、夫にも負担をかけている。

私の感情も、いろいろ揺れ動くことが多い。

 

母には本当に感謝しているし、愛情もあるから、母のフォローをするのは当然のことだと思う。

でも、自分にもし娘がいて、同じような心配や負担を娘にかけるとしたら、いっそ自分にはそんな存在がいなくて良かったとも思う。

そのあたり、ちょっと複雑な心境だ。

 

いまの母の姿は、将来の自分の姿かもしれないと思ってみている。

右往左往することも多いけれど、いまは母のためにしていることが、自分の将来への備えになるかもしれないと思う。

少なくとも「認知症になること」は、想定外のできことではなくなったのだし。

1人になった時の心構えだけは、しておこうと思う。