帰省中。
母とリビングでテレビを観ている。
認知症になる前、母は映画やドラマが大好きだった。
特にハリウッド映画にハマっていて、レンタルビデオ屋に通い、その日に観た映画名、キャストなどを細かくノートに記録。
目のパッチリした濃ゆい顔立ちが好きらしく、トム・クルーズ、ジョージ・クルーニーは特別お気に入りだった。
私が実家暮らしだった頃は、金曜の晩になると一緒にビデオ屋に行き、お互い好きなものをレンタル、帰りにミスタードーナツに寄ってお茶をする、というのがお決まりのパターン。
母が颯爽と運転していたし、きびきび動いていた姿が、今となっては懐かしい。
今の母は、ストーリーを追えなくなったのと、登場人物の関係性が把握できないらしく、以前好きだった恋愛モノは複雑すぎるみたいだ。
刑事モノや医療ドラマのように、単発でストーリー展開されるものなら、まだ楽しめるみたい。
母が好きだった俳優さんが出てくると「この人知ってる」と反応するので、「お母さん、好きだって言ってたよ」と教えてあげる。
すると母が「そうだと思う」とすごく満足気な表情をするのが、かわいらしい。
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昔から、朝7時NHKニュース~朝ドラ~あさイチがお決まりだったので、毎日それだけは観られるように視聴予約している。
1人の時は適当にチャンネルを回しているみたいだけど、私がいる時は、母の反応をみながら興味をひきそうな番組を選んで入れる。
山、海などの自然モノ、動物モノ、ヒューマンドキュメンタリーなどは、まず間違いない。
「美しい」と感じる気持ちは最後まで残る、となにかで読んだ気がするけれど、それに通じるものがあるというか、シンプルに感情に訴えてくるからだと思う。
地域紹介や旅番組は、タレントさんがワチャワチャ出てくるやつじゃなく、「ブラタモリ」のように落ち着いた解説付きで、じっくりみせてくれるものを好む。
テロップの漢字もスラスラ読むし、テレビを観ながら独り言をつぶやいたり、私に話しかけたりする母はいたって普通で、その姿だけをみた人は、母が認知症だとは思わないかもしれない。
母がテレビに見入っている間は、こう言ってはなんだが、気が楽だ。
母が興味を持てない(らしい)番組が入っている時、あからさまにつまらなそうだし、そのうちウトウトと眠そうな様子をみせる。
暇を持て余すのか、ものすごい「かまってちゃん」になり、「お母さんは、次どうしたらいいの?」と絡みだす。
こちらにパワーがなかったり、忙しかったりして、素っ気ない返事をしようものなら「冷たい」と拗ねてしまう。
面倒くさいが「自分の機嫌は、自分でとってよ」と言ったところで、認知症の母には伝わらない。
何かしらの方法で、私が母の機嫌をとってあげるしかない。
母の脳の中にブラックホールができて、記憶が闇の中に吸いこまれている、というのが私のイメージだ。
その穴は、少しづつ大きくなっている。
人間の脳が、こんなにもデリケートで壊れやすいものだとは思わなかった。
母が認知症にならなかったら、私は「脳」ついて深く考えることはなかったと思う。
さっきから母がうたた寝をしていたけれど、先に寝ると言って寝室に行った。
いつもなら私が寝るまで待っているのに、今日は余程眠かったらしい。
こんな風に、母が眠った後にのんびりパソコンに向かっているのはめずらしい。
今日もこうして、1日が過ぎていく。