帰省中のこと。
ちょうど燃えないゴミ出しの日と重なったのでチャンスだと思い、手つかずだったキッチンの収納扉を開いてみた。
(燃えないゴミの回収日は月に2回なので、捨てたくても、帰省の予定が合わないこともある)
実家の断捨離は、過去、母が足の手術で入院した時にかなり頑張った。
退院後にヘルパーさんに家に入ってもらうことが決まっていたので、どこに何があるかが分かりやすいように、部屋を整えておく必要があったからだ。
遠距離介護の実家の断捨離 母の認知症いつから? - シン・母 遠距離介護日記+
母はなんでも「縦横きっちりそろえる派」で、子どもの頃、母がしまった衣類を勝手に引っ張り出したりすると、かなり嫌がられた。
家の中は常に整頓されていたので気にしたことがなかったけれど、物は捨てられなかったみたい。
特に、空き箱、雑誌、本の類は、捨てたことがないんじゃないかと思うくらいの量だった。
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年代のせいだけではないと思う。
母の2歳下の妹(叔母)は、ここ数年断捨離に励んでいるようだし、90歳になる夫の母親(姑)も、わりと思い切りよく物を処分するほうだ。
断捨離ができるかどうかは、やっぱり性格によるところが大きいのだろう。
私は物を分別してゴミ袋に入れるまでの作業は苦じゃないけれど、ゴミ袋の山がどんどん大きくなってくると不安になる。
ゴミ出しの日まで日数があったりすると、なおさらだ。
自分の出したゴミが無事に回収されるまで、なんとなく落ち着かない。
ちゃんと分別してあるからそんなはずないのだけれど、万が一、自分のゴミだけ取り残されていたらどうしようかとドキドキしてしまう。
回収車が立ち去るのを窓から見送って、ようやく気持ちがスッキリ楽になる。
前置きが長くなってしまった。
今回は、大きな鍋を2つと、フォーク、スプーン類を処分した。
5人家族だった頃に使っていたものだけど、今は2~3人用のものしか使っていない。
大きな蒸し器もあったけれど、今回のゴミ出しは3袋までと決めていたので、次の機会にまわすことに。
(3袋までは、プレッシャーなく出せる)
フォーク、スプーンは大きなタッパー3つに綺麗に入れられていて、母がしっかりしていた頃の手の跡みたいなものが感じられて、胸が痛くなる。
まだ、母死んだわけじゃないんですけどね……
なんか切ない。
私がキッチン扉を開けだしたあたりから、案の定、背中に母の視線を感じる。
「何してるの?」「何があるの?」と言い出したので、そういう時は作業は中断。
「捨てる」なんて言うと、「お母さんが後で確認するから、取っておいて」と言い出しかねない。
それじゃ、断捨離にならないし。
なので、母がトイレに立った間に素早く母から見えないところに移動し、少しづつゴミ袋に入れる作業を繰り返して、今回分は終了。
こうやって、毎回少しづつ断捨離するだけでも、かなり違うはず。
で、今回の断捨離、私にとってのお宝を発掘した。
先が四角くなったスプーン。
これ、子どもの頃から愛用していたものだけど、いつの間にかすっかり見なくなって存在を忘れていた。
30年(多分それくらい)の時を経て、また再会することになろうとは。
これだけは捨てられなくて、大事に自宅まで持って帰ってきた。
このスプーンで食べたいのは、やっぱりプリンだよねー、と思いセブンへ。
そうそう、この感触。
口から引き抜くときに感じる、平たい、四角い、独特の感触。
普通の形状のスプーンとは、明らかに何かが違う。
懐かしすぎて、ホッコリする。
心なしか、いつも以上にプリンが美味しい。
思いつきの断捨離で、こんなお宝が見つかるとは思わなかった。
断捨離のいいところは単に物を減らせるだけじゃなくて、古いとか新しいとか関係なく、好きなもの、大切なものを見つけ出せることかもしれない。