シン・母 遠距離介護日記+

遠方にいる認知症の母の備忘録を中心に、日常のあれやこれやを書いています。

母に表れていた認知症の兆し 見逃してしまったサイン

記憶をさかのぼってみると、「え?」と思うことはありました。

 

認知症の兆し 朝と夕方を間違える

3年ほど前、ビデオ通話での母との会話。

 

お母さんね、昨日、朝と夕方と時間まちがえちゃって。

えっ?どういうこと?

テーブルでうたた寝して起きたら6時だったの。『あっ、朝だから外掃除しなきゃ』って外に出て、玄関まわりを掃いてたけど、なんか様子がおかしいし。

しばらくして『あ、いま夕方なんだ』って気がついたのー

 

とっさに昼夜の判断がつかない、ということはあるかもしれません。

母の話を聞いた時、かすかに引っかかる気持ちはありましたが、深くは気に留めませんでした。

電話で会話する母は、それまでと何も変わりがありませんでした。

でも今になって思うと、母の認知症の兆候は、その頃から始まっていたような気がします。

 

認知症の兆し ビデオ通話であることを忘れる

ある日、いつものようにビデオ通話で話していた時に、実家のチャイムが鳴りました。

 

誰か来たみたい。一回切るね

 

30分後、再び電話がかかってきました。

 

いま〇〇さん(近所の母の友人)が来て、しばらく玄関で話してた

 

お母さん、〇〇さん(私)が家に居ると思って、部屋に戻ってから探しちゃった。       でもどこにも居ないし『あ、電話で話してたんだ』って。

 

ビデオ通話だったので、その場を離れている間に、私が家の中に居たように錯覚してしまったらしいのです。

私を探している母の姿を想像すると、なんだか切なくなって、涙が出そうになります。

 

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認知症の兆し 趣味に興味を持たなくなる 

母は昔から几帳面な人で、家計簿も日々の雑記も、それはそれは緻密に、きれいにノートにまとめていました。

元気だった頃は、自分でLOFTに行って、ノートや貼り付けるシール、マスキングテープ等を楽しそうに買っていました。

母の趣味であり、日々の暮らしに欠かせないことだったはずなのに、ある時期から、まったくノートを開かなくなりました。

好きだった新聞記事の切り抜きもしなくなって、読まないままの新聞が、部屋の隅に積み重ねられたままになっていました。

 

最近になって実家の断捨離をした時に、LOFTの袋に入ったままの新しいノートが出てきました。

「いつ頃買ったものだろう?」「この時はまだ、次のノートを書くつもりだったのかな」とか考えていたら、とても切なくなりました。

 

認知症の兆し 普通にやっていたことが、できなくなる

母が足の手術で入院することになり、その持ち物を準備。

以前の母なら、入院の手引きを自分で読み、荷物をまとめたはずです。

それが、「お母さんわからないから、〇〇さん(私)に任せる」と言って、自分から準備しようとしませんでした。

その少し前に、母に頼まれて私がデパートに下着を買いに行ったことがありました。

その下着がどこに片づけてあるのか尋ねたら、そのできごと自体をすっかり忘れていました。

確かに、それまでの母とは違っていました。

私は「足の痛みのせいかな」「飲んでいる薬の副作用で、ぼんやりしているのかな」と思って、認知症とは結びつけて考えませんでした。

 

認知症の兆し 不安感が強くなる

ある日、夜8時頃になって母が電話をかけてきました。

その日はお昼に電話で長く話していたし、その時間帯に母から電話がかかってくるのはめずらしいことでした。

「急ぎの用事じゃない」と言っていたけれど、ちょっといつもの母と様子が違いました。

元気がなく、言葉にも覇気がありませんでした。

いま思うと、自分でも異変を感じていて不安だったのかもしれません。

すごく寂しくて、私の声を聞きたかったのかもしれません。

実際に、認知症の初期症状のひとつに「不安感が強くなる」があることを、後に知りました。

 

今になって思えば、他にも「あの時、すでにおかしかった?」と思うことはあります。

でも当時は、それを認知症に結び付けるだけの知識が私にありませんでした。

 

夫とも、お互いの親について、

夫「うちの両親は(認知症は)大丈夫」

私「身内に認知症の人もいないし、うちの母親もきっと大丈夫だと思う」なんて会話をしていました。

根拠もなく、自分達には関係のないことだと思っていたのです。

 

母との親子関係は、幼い頃から密なものでした。

高校を卒業してすぐ県外に出たこともあって、毎日必ず電話で会話する、仲の良い親子でした。

帰省した時には、一緒にランチに出かけたり、買い物に行ったりしました。

なんの心配も不安もなかった頃、母との会話やあれこれ楽しかったことを思い出すと、自分がいかに幸せな娘だったのか分かります。

あの頃が懐かしいです。

 

「毎日電話しているから、ビデオ通話で顔だって見ているから」

 

そう思っていた私は、母の変化に気がついてあげられませんでした。

 

いまも、本当に後悔していることがあります。

コロナで亡くなる人も多く報道されて、「県外への移動は自粛」の空気が濃かった頃です。

毎年お正月には、必ず帰省して母と過ごしていました。

でもその年、私は帰省をしませんでした。

実家のご近所の目が気になることも理由でしたが、それだけではありませんでした。

新しい仕事を始めたばかりで余裕がなく、お正月は自宅で、夫と2人ゆっくり過ごしたい気持ちもありました。

コロナを言い訳にした面が、正直ありました。

 

あの頃が、母の分岐点だったんじゃないかと思うのです。

なにを差し置いても、その年のお正月に帰省して、母のそばにいるべきだったんじゃないかと思ってしまうのです。

ごめんね、お母さん。

 

「もっと早く、足の手術をすすめればよかった」

「コロナのせいにして、帰省を延ばしたのがいけなかった」

「もっと早く、変化に気がついてあげればよかった」

「もっと早く・・・」

 

できれば時間を戻して、その頃の母に寄り添ってあげたいです。

でも、そんなことはできない。

もとには戻らないのです。

母は認知症になり、今も少しずつ進行しています。