シン・母 遠距離介護日記+

遠方にいる認知症の母の備忘録を中心に、日常のあれやこれやを書いています。

認知症の母の妄想 亡くなった人のこと

ここ半年くらいでしょうか、母の妄想らしき言動が増えてきました。

「妄想」と表現していいのか分かりません。

「つくり話」「思い込み」「勘違い」

どれも当てはまるようで、当てはまらないような気もします。

 

・日に何度か「『あれ』どこいったかな」と何かを探そうとする。

 キッチンの戸棚の一番高い扉(母の手の届かないところ)を指して

 「あそこに、あれ、入れたと思うんだけど。ほら、あれ。」と言う。

 (実際には何もない)

 

・テレビを観ていて「お母さん、これ前にも観た」と言う。

(似たような番組を同じものと認識しているのか?CMで観た場面を思い出しているのか?)

 

・亡くなった父のことを「お父さんは、どうしてるのかな」と言う。

 亡くなったこと自体を忘れている。

(日によって認識に差があり、亡くなったことを理解している時もある)

 

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認知症の人の言うことは、決して否定してはいけないといいます。

母の世界の中で、それはすべて本当のことだからです。

誰だって、自分の言ったことを信じてもらえなかったら悲しいですよね。

理解できない言動も何か理由があるんじゃないかと、母の立場で考えてみるように努めています。

できるだけ母の話に合わせるよう努めていますが、それでも、否定せずにいられない時もあります。

亡くなった人を、生きていると思い込んでいる時です。

その時によって、母の両親だったり、義母(私にとっての祖母)だったりしますが、切ないのは父のことを聞かれた時です。

父の所在を聞く時、母本人もおかしいとは思っているのでしょう。

どこか不安な表情で私に質問します。

私はどうしても、母にうまく話を合わせることができません。

その場限りでも、父が生きていると期待させることが辛いからです。

正確に言うと『父の帰りを待つ母』を見ているのがたまらなく悲しいのです。

だから、私は遠慮がちに答えます。

「お父さんはもういないよ。お葬式もして、一緒に見送ったから大丈夫だよ」

そう言います。

「いつ??どうして??」と聞く母を見ると切なくなりますが、

「お父さんのことは、ちゃんとしたから大丈夫だから」

「心配しなくても大丈夫」

母の気持ちをそらすため別の話に切り替えると、そのうち母も忘れてしまいます。

母の気がそれたことにホッとしながらも、私の気持ちはしばらく悲しい場所に取り残されるのです。

本日の備忘録

認知症母に否定はダメだけど、肯定してあげられない時も
・母の立場になって言動の意味を考える