シン・母 遠距離介護日記+

遠方にいる認知症の母の備忘録を中心に、日常のあれやこれやを書いています。

母と私は別の人間で、私の人生は私のもの

遠距離介護をしている母のところから、自宅に戻ってきた。

ブログの更新は数日ぶり。

毎日パソコンに向かうも、3行くらい打ったところで、テレビを観ている母に話しかけられる。

これは誰?前から出てた?

これはどういう意味?

母は生返事を許してくれない。

もう!ちゃんと(テレビ)観なさい!

なぜか怒られ、私がキレるのがいつのもパターンだ。

なんだかんだやりあっているうちに、何を書こうとしていたのか分からなくなり、頭の中がぐちゃぐちゃになってしまう。

母と同じ部屋で同じテーブルに座っているのだから、それで十分だろう、と思うのだけど、それでは満足しないらしい。

テレビを観るのも、おやつを食べるのも、「とにかくなんでも一緒」じゃないと寂しがる。

私がシャワーを浴びている時も、「1人で洗える?」とか「背中、1人で拭けるかと思って」とか、なんども脱衣所の扉を開け、声をかけに来る。

私の姿が見えないと、不安になるのだろう。

そんな母が、面倒でもあり、愛しくもある。

実家では常に「母にちゃんと向き合う」ことを要求される。

 

一昨日は、家の前で始まった道路の舗装工事が気になるらしく、しょっちゅうブラインドのそばに行って隙間から覗いては、私に報告。

足が痛い痛いという割に、そういう時の母の動きは素早い。

危なっかしい足取りながらも、まっすぐに窓に向かっていく。

「〇〇さん、あれ見て!」と呼ばれるたびに、私も立って母のそばへ。

ちょっと母に付き合って戻ると、今度は、自分の椅子まで戻るのに私の支えが欲しいと呼ぶ。

やれやれ。やれやれだ。

 

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それでも、今のところ、大きな問題行動もなく自宅で過ごせている。

本当にありがたい。感謝しかない。

極端な話、食事がとれて、トイレに自分で行けて、安全に1人で留守番ができて、夜ちゃんと眠れたら、そして母に笑顔があれば、それで御の字だと思う。

今の状態なら、月に一度の私の帰省と介護サービスのフォローで、母も在宅で暮らしていけそうだ。

デイケアに通ったこともあるけれど、母は極度の人見知りと緊張しいで、全く適応できなかった。現在は「定期巡回随時対応型訪問介護」と「訪問リハビリ」を利用)

 

認知症が治る病気じゃないことは、理解している。

母の様子を見てきて、確実に進行する病気なのだということもわかる。

家族が認知症になるのは本当につらい。

事実を受け止めるのにも時間がかかるし、生活も、人生設計も変わる。

大切なのは、母本人はもちろん、家族が穏やかな気持ちで過ごすことを忘れないことだと思う。

この先どんな風に母が変わっていくのか分からないけど、母と私達家族が穏やかに暮らせる方法を、常に探していくしかない。

きれいごとではなく、笑顔が出るような、気持ちが明るくなるような時間を持てない生活はとてもしんどいし、皆が共倒れになるだろう。

 

そういえば、次の帰省に備えて、課題を思い出した。

「私が実家を離れる日に、必ず情緒不安定になる母への接し方」を考えておかなければ。

昨日もそうだった。

バタバタと帰り支度をする私の横で、母は泣きそうな顔で、ずっと同じ言葉を繰り返していた。

今日は帰ってこないの?お母さん1人なの?

お母さんは、これからどうしたらいいの……

お母さんはどこも行くところがないし、誰も来てくれないよね

 

その度に、「大丈夫だから」とか「お母さんは、ここが家なんだから」とか「またすぐ〇日に来るから」とか答えるけれど、最後にはキレてしまう。

「〇〇さんがいなかったら、お母さん一体どうしたらいいの?」と言われ、「私はお母さんのモノじゃないし、別の人間だし、私の人生は私のものなんだから」と言い返してしまった。

そんなふうにやりあって、最後はハグで仲直りして、窓のカーテンの隙間から私を見送る母に、歩きながら振り返って手を振る、というのが毎回のパターン。

 

1人になって、『認知症の母に、大人げなかったな』と反省するのもお決まりのことだ。

母をいじめたみたいに感じて、後味が悪くなる。

母が情緒不安定になるのは毎回のことで、わかりきった展開だ。

それなのに私がキレてしまうのは、ひとえに私が後ろめたいからで、私の心が弱いからだ。

母を残して去っていくことに、自分も苦しくて耐えられないから、母の言葉を受け流せないのだ。

夫と結婚して家を出た時、母はすでに1人だった。

父は私が20歳になるまでに亡くなってしまったから、将来こうなることは予想していた。

(母が認知症になることは想定外だったけれど)

それを選んだのは私だから、母の言葉にいちいち動じてはいけないのだ。

 

結局は母の感情にのみこまれない、強さが必要なんだと思う。

私は小さい頃から人の顔色や空気にすぐに左右されるし、特に母の「それ」にとても敏感だ。

物心つく頃から、母の愚痴を聞いて育ってきた。

気の強い祖母と折り合いが悪かった上に、父に先立たれた母がかわいそうだったし、でもずっと母のそばにいることもしんどくて、離れた部分もあったように思う。

私にとって、母の感情を受け流すことは、とても難しい。

 

『お母さんのモノじゃないし、別の人間だし、私の人生は私のもの』

 

この言葉を母にぶつけたように、心の底から思い切れたら、きっともっと楽なんだろう。

寸劇かコントか、くらいの余裕をもって、やり過ごせたら。

母の言うことには毎回パターンがあるのだから、私の心が乱されないように、母の情緒不安定を上手に受け流せるように、できれば安心させられるように、備えておかなければいけない。

「こう言われたら、こうしよう」くらいの策は、考えておこう。