朝起きたら、なかなかに激しい雨が降っていた。
夫が、ビニール傘の柄に貼ってあるテープが剥がれたというので、家にあったムーミンのマスキングテープを貼り直してあげた。
こうしておくと自分も間違わないし、人にも盗られにくいと思う(多分)。
傘を持って出社する夫を見送った後、母にビデオ電話。
テーブルの上に書類箱があり、中から出した書類を広げて眺めていた。
母の認知症が始まってからは、母宛ての郵便物の処理やお金の管理はすべて私が行っている。
母は慎重派で几帳面なので、ポストに入ったものはどんな物も(フリーペーパーもチラシもなんでも)とっておくタイプなので、そこは安心している。
郵便物は開封までしてテーブルに置いておくこともあるし、届いたそのまま、何通か輪ゴムにまとめておくこともある。
けれど、私が整理している書類箱に手を触れることは、ここ2年くらいなかったので、少し驚いてしまった。
聞いてみると、締め切りのある書類がないか心配になったそうだ。
内容については、「お母さん、読んでも分からない」のだそう。
「私が帰った時、必ず確認しているから大丈夫だよ」と安心させて、とりあえず書類を箱に戻してもらったけれど、また心配になって広げるかもしれない。
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いつもと少し違う行動が出てきた時、それが「いい兆候」なのか「悪い兆候」なのか、私には判断がつかない。
興味が戻ったのなら嬉しいが、不安が強くなったのなら心配なことだ。
もう少し様子を見てみないと、分からない。
きちんとまとめた書類をバラバラにされる光景をみて、正直ため息が出てしまったが、よく考えれば、元々は母宛てに来ている書類で、母のものだ。
母が触って悪いはずがない。
そうはいっても、母に管理ができるはずはないので、明細やお知らせなど、失っても困らないような書類だけを箱に残し、大切な書類は、母の目につかない、別の場所に移しておくことにしよう。
フォローする家族がいなくて認知症になった人は、そういった管理をどうしているのだろうと思う。
保険会社の個人年金など、こちらから証明書のコピーをつけたりハンコを押したりして、書面を提出しないと入金されないものも多い。
私の場合、順番にいけば夫を看取った後は独居になるので、自分で処理ができなくなることも想定して、お金や書類の管理を考えていかねばなるまい。
そんなことをぼんやり考えながら、近所に食材の買い物に出かけた。
雨はちょうど止んでいたので、傘は持たずにすんだ。
帰り道、お蕎麦屋さんの前に老夫婦が立っていて、なんとなく視線がいってしまった。
仲良く身体を寄せ合って、看板に書かれているメニューをみていた。
2人とも小ぎれいな恰好をしていて、お爺ちゃんのほうはきちんとした帽子をかぶっている。
旅行、という雰囲気ではなかったので、何か用事があって来て、お昼にお蕎麦でも食べようということになったのかもしれない。
2人の後ろを通り過ぎながら、なんだか涙が出そうになってしまった。
ほほえましい気持ちと、なんだか切ない気持ち。
歳を取ると涙腺が弱くなるというのは、本当だと思う。
それとも、更年期の情緒不安定だろうか。
遠く離れた場所に1人でいる母のこととか、同じく遠くに住んでいる夫の両親のこととか、自分達夫婦の将来のこととか、いろいろ思いを馳せてしまった。
大切な人とは、ずっと元気で一緒にいたいと思う。