シン・母 遠距離介護日記+

遠方にいる認知症の母の備忘録を中心に、日常のあれやこれやを書いています。

認知症の母に昔のアルバムで回想法

先日、大学病院(母の認知症の定期検査)に行った際、先生に「回想法とかいいかもしれませんね」と言われた。

認知症の進行を遅らせるために、日記をつけるとか、一緒にゲームをするとかすすめられたけれど、母にはどちらも難しい。

軽度認知症で自分でも自覚があり、進行を防ごうと意識のある人には効果があると思うが、母はそんな時期をとっくに過ぎている。

 

「先生、母には難しいです。オセロもやってみましたが、ルールを覚えられないので、すぐに飽きてしまうみたいです」と伝えたら、回想法をすすめられたのだ。

 

近年、薬を使わない認知症対策として「回想法」が広まりつつあります。回想法とは、昔の思い出の写真や音楽、元気な頃に使っていたものを用いて、昔のことについて話してもらう心理療法のことです。(「回想療法」とも呼ばれています)

回想法で認知症を改善「回想法の方法や注意点をわかりやすく解説」

 

朝ごはんの後、母がいつものごとく「お母さんは、何をしたらいいんだろう?」とソワソワし始めたので、収納庫からアルバムを持ってきた。

母の結婚式など親戚縁者が写ったもの、私が小さかった時のもの、母と私で一緒にいった温泉旅行など。

 

認知症の人は昔のことはよく覚えている、というのは定説のようになっているし、母も昔のことは覚えているかもしれない、と期待を込めてアルバムを見せてみた……のだが、思ったほど母はノッテこなかった。

自分の白無垢姿をみて、「これは誰?」と聞いてくる。

「これ、お母さんだよ、よく見てー」と言うと、「えー?」といいながら「そうね、そうだわ」と言った感じでノリが悪い。

親戚縁者がたくさん写っているようなものは、昔の写真の不鮮明さもあいまって良くみえないらしく、拡大鏡を使って「これは○○伯母ちゃん、これは〇〇伯父さん」と説明するも、「うん、そうね、そうだわ」というだけだ。

兄弟の名前すら思い出すのに時間がかかる状態で、記憶に関しては、先生や私が思っているよりずっとあやふやになっているようだ。

「これは誰なのか」を判別するのが精一杯で、ちっとも楽しそうじゃない。

結局、ものの数ページをみただけで「どうぞ」というように、私のほうに押しやってしまった。

母の様子からは懐かしさも感じられず、思い出が語られることもなかった。

 

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つまり、回想法は失敗に終わった。

母の思い出は認知症によってすでに失われてしまったのかと思うと、寂しい気持ちになった。

 

今回の帰省中、母はわりとぼんやりしていることも多いし、認知症進んでるのかも……と思うことも多い。

心配だ。

ここ1年くらい、割といい感じで落ち着いていると思っていたけれど、楽観的すぎたのか。

できるだけ機嫌よく過ごしてもらおうと努めてはいるんだけど、「進行を防ぐために何か対策を」となると、やっぱり難しい。

だって、もう何をすすめても興味を持たないし、多分分からないからだろうけど、自分で何かをやろうとする意欲はまるでないのだ。

切ない。

私は母が大好きなので、変わっていく母がかわいそうになってしまう。

母本人は、自分のことをどこまで分かっていて、どう感じているのか私にはわからないけど。

少なくとも、わからない自分を恥じたり、混乱したりする瞬間はあるように思う。

私がしてあげられるとしたら、それでも大丈夫なんだよと、不安を取り除いてあげることくらいだろうか。

「私は、お母さんが大好きだからね」というと、母はとても嬉しそうだ。

母は昔から笑顔が取り柄の人なので、笑顔だけは失ってほしくないと思っている。