シン・母 遠距離介護日記+

遠方にいる認知症の母の備忘録を中心に、日常のあれやこれやを書いています。

認知症の母との関係で、つれづれ思うこと

ここのところ、母親の認知症が確実に進んできたのを肌で感じ、私の気持ちも少し落ちていた。

ほぼ独居の母にできないことが増えていくのは不安だし、困りごとが増えていくたびに頭を悩ませては何が最善の策なのか探っていくわけで、それが日々続いていることに疲れを感じていることが原因でもある。

でも私にとって一番寂しいのは、私への関心や執着度が以前に比べて小さくなったと感じることだろうか。

母は娘の私への愛情表現を惜しまないタイプだったから、余計敏感にその変化を感じるのだろう。

先日、ビデオ電話の最中、私と目を合わさずにテレビの画面ばかりを見つめているものだから、急に悲しくなってしまった。

「お母さんは、もう私に愛情がなくなったのね」

「こんなに毎日お母さんのことを心配しているのに」

「もう、目も合わせてくれないのね」

とかなんとか、気持ちの離れた恋人をなじるようなセリフを言ってしまった。

母は「なんてこというのー?」とバツが悪そうに苦笑いしていたが、私の言っている意味はよくわかっていなかったと思う。

もちろん、そんなやり取りが不毛なことは承知している。

認知症が進んでいけば本人の喜怒哀楽の表現が小さくなっていき、やがて表情も乏しくなるであろうことは予想できる。

いつか私のことも認識できなくなるだろうし、その覚悟もしているつもりだった。

でも、いざその兆しが見えてくると、やはり寂しい。

母が、どんどん遠い存在になっていく。

母は80を超え、私も50を超えた身だというのに、私の中には小さな5歳くらいの自分がいて、母が毎日抱いて眠ってくれて、その頃の関係性を何十年経っても忘れられないのだ。

母が認知症になり、私が母を守る立場に逆転したけれど、根っこの部分ではやっぱり私も大人になりきれていないんだろう。

私が子どもを産んでいない、娘の立場のままで歳をとっているせいもあるのかもしれない。

子どものころから「母親の元気な顔が一番嬉しい、母親の悲しい顔をみると自分も辛い」と、常に母の顔色や機嫌を気にしてきた私は、今でも毎日見守りカメラで母の表情から何が読み取れるかと気を張ってしまい、そんな自分に疲れてしまうことがある。

大人になって思うのは、母はかなり繊細な性質だったし、嫁姑関係も悪く、母と私はセットになってよく(私にとっての)祖母から罵倒されたり、悪口を聞かされたりした。

お互いに会話をしたくない時は、私が伝書鳩のように伝言を伝え、波風が立たないように双方に気を遣った。

祖母から憎々し気な対応をされた時も、私の中でそれを消化し、母に伝える時には幾分和らいだ表現で伝えるなどしていた。

今でも(母の代わりに)おずおずと用件を伝える自分の姿と、祖母の苛立った表情を思い出す。

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常に「祖母」対「母と私」だったから、母の涙も愚痴も全部受け止めた。

母は一見笑顔を絶やさない明るい人柄にみえるが、祖母との関係がそうさせたのか、元々の気質だったのか、まわりの人に対して疑心暗鬼になることが多く、その感情ももれなく私に伝えたため、私も人に対して臆病なものの見方をするようになってしまった。

最近になって、そういうことも「毒親」の定義に入るらしいことを知り、なるほどな、と納得する部分もあり、多少恨めしい気持ちになることもあるが、それでもやっぱり母に深い愛情を感じるし、その存在は大きい。

そんなこともあって、私達親子は共依存気味だな、私は母ロスになりそうなタイプだな、と危惧したことがあって、でも母が認知症になったことで少しづつ関係性が変わり、母を看取っていく心の準備をしてきたつもりだった。

それなのに、この段階でまだこんなに寂しくなるなんて、まだまだだな、と思う。

 

最近の母をみていて、数年前に去った実家の愛犬のことを思い出す。

元気だった頃は、私が実家の玄関に入るや否や、(多分その前から)足音や気配を感じとり、走って出迎えてくれていた。

歳をとって足腰が弱ると、リビングのクッションの上で身体を起こして喜んでくれた。

そのうち、リビングに入っていっても反応がなくなり、頭をなでで話しかけるとようやく認識してくれるようになった。

最後のほうは骨と皮だけのように細くなり、もう完全に目も見えなくなって、どこまで私をわかっていたかはわからない。

でも17年と半年、本当に頑張ってくれ、朝方、母と一緒に眠る布団の中で息を引き取っていた。

最近の母をみていると、その愛犬を思い出す。

母の私に対する変化が、その姿に重なってしまう。

命はそうやって枯れていくのかな、と思うし、受け止めなくちゃいけないよな、と思う。

母が去った時にようやく私は独り立ちできるし、自由になれる気もする。

毎日母の心配をすることなく、自分の人生だけを考えることができる。

いつかは私も、母や愛犬と同じように枯れたようになって命が終わるのだ。

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