ここ1年は、割と穏やかな生活を送ってこられたと思う。
『母が認知症になってしまった!』という初期のショックも薄れ、私の精神状態が安定することで、落ち着いて母に接することができるようになった。
2週間自宅~1週間実家~2週間自宅~1週間実家、という遠距離介護のサイクルもすっかり定着し、夫との「次(の帰省)はいつ?」という会話もお約束のようになった。
環境面が整ってきたことも大きい。
私がいない2週間は、訪問介護のスタッフさんに来てもらっている。
お弁当を持ってきてもらい、洗濯、着がえ、携帯の充電などのこまごまとした雑務もお願いしている。
見守りカメラやエアコンの遠隔操作などハイテクにもかなり頼っているけれど、何かあった時に必要なのは人の手なので、そこは本当にありがたいし感謝しかない。
私が帰省する1週間は、母が次の2週間を1人で問題なく過ごせるように、整える時間でもある。
母の入浴、家の掃除、シーツ類の洗濯、通院、足りない備品などの補充、介護スタッフさんとの情報交換等であっという間に過ぎていく。
母が1人の時は食欲や間食の具合(バナナとか栄養ジュースとか)で体重が増えたり減ったりするので、それに合わせて食事内容も考えて、できるだけベスト体重をキープするように気をつけている。
母は両脚とも人工関節なので太り過ぎても負担が増えてよくないが、体重が減るととたんに元気がなくなるというか、認知症の進行も進む気がするので、かかりつけの先生にも痩せすぎないように言われている。
母にはできるだけ、在宅で落ち着いて過ごさせてあげたいと思っている。
元々社交的で人好きな性格ではないので、人の輪の中に入ると緊張するタイプのようだ。
結果、ものすごく気を遣いすぎて人を寄せつけないので、逆に人に気を遣わせてしまう。
以前デイケアに通った時期があったが、1時間も前から緊張して玄関で待ってしまうほどで、行った先でも馴染めなかったようで、2か月と持たなかった。
足の手術の後だったのでリハビリのためにと思ったが、かなり強引に進めてしまったかな、かわいそうなことをしたな、と反省している。
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では、在宅で過ごせなくなるとはどのようなときなのか?
骨折などで動けなくなることを別にしたら、一番のポイントは、トイレの失敗の有無だと思う。
訪問介護で着がえのフォローはしてもらえるが、羞恥心からくる着がえ拒否などもたまにあるし、認知症が進んでトイレコントロールができなくなればどうなるかは容易に想像できる。
私が一番恐れることが、母のトイレ問題なのだ。
ここ最近、ハラハラしたりヒヤヒヤしたりすることが、以前に比べて増えてきたように思う。
一番恐れていることに少しづつ近づいているような気がして、モヤモヤとした不安に駆られる時がある。
そうなったら、母を1人で家に置いておけなくなるからだ。
最終的には、施設に入ってもらうことになるだろうと思っている。
けれど、まだ今ではないと思う。
今の母は、5分前の記憶はなくても笑顔でコミュニケーションもとれるし、意思の疎通もできる。
テレビを観ながら「今のはどういうこと?」と聞いてきたり、『365歩のマーチ』を嬉しそうに歌ったりする。
私の帰省を、毎日待ちわびてくれているのだ。
施設に入るのは、母がもっと何もかも忘れてしまった時、私のことすら分からなくなってしまった時であってほしい。
その頃になれば、もしかしたら家にいても施設にいても、母にとってはもはや同じものなのかもしれないし、私自身も諦めがつくような気がする。
だから、なんとか踏ん張ってほしい。
できるだけ長く、家で過ごさせてあげたい。
書いていたら、なんだか感傷的な気持ちになってしまった。
誰よりも私が、母を施設に入れたくないのだろう。