シン・母 遠距離介護日記+

遠方にいる認知症の母の備忘録を中心に、日常のあれやこれやを書いています。

家計簿と洋服管理アプリで、今年こそムダ買いをなくす

スーパーに行く途中、園児のお散歩に遭遇した。

先生が2人、園児は10人くらいだろうか。

「すごく小さい」と思ったけれど、しっかりおしゃべりはしていたから3歳くらいだろうか。

みんな黄色い帽子をかぶっている。

先生を中心に、園児たちが枝分かれするように手をつなぎあっているのだが、後ろの列の端にいた男の子の手が、お友達の手と離れてしまったようだ。

「離さないでね、離さないでね」とつぶやきながら、お友達に向かって手を伸ばす姿がとてつもなくかわいらしかった。

同時に、足の悪い母が家の中を歩く時の「ちょっと待ってね、ちょっと待ってね」という口癖を思い出した。

ワイワイと賑やかな、黄色いかたまりがゆっくりと目の前を移動していくのを、明るい気持ちで見送った。

 

スーパーで買ったものを冷蔵庫にしまってから、近くのマツモトキヨシへ。

台所用洗剤、おふろの洗剤、トイレットペーパー、ティッシュを購入し、家に帰ってすぐに財布からレシートを出す。

今年から始めた家計簿の記入だ。

家計簿は、トライしたものの持続できないまま放置という経験が何度もある。

ここ10年くらいはすっかり諦めていたけど、また気持ち新たに始めてみることにしたのだ。

 

 

 

参考にしたのは、づんさんの「上書き合計式家計簿」だ。

日々の合計を累計していくと言う方式で、本当は食材からなにからすべてを記入していくらしいのだけど、細かすぎて続かなそうなので、店舗ごとの合計と累計だけ記入している。

Amazonなどカード払いでネット購入したものも、その日のうちに記入しておく。

(カードでの購入金額には、マーカーで色分け)

その日にいくら使ったのかが明確だし、累計していくことでトータル金額もすぐわかる。

 

づんのホームページ「づんの家計簿」著者づんの公式サイト

 

項目も何も考えずにひたすら記入していくだけなので、これなら続けられるかもしれない。

私個人の購入品(服とか本とか)は、累計金額をすぐ把握できるように、別のページを設けた。

自分だけの累計金額を目にしたら、自然にムダ買いは減るのではないだろうか。

 

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きっかけは、物欲(主に服)がなかなかおさまらなくなってしまったことだ。

私は「なんとなく適当に」買ってしまう傾向がある。

スマホに流れてきたセール情報についつい踊らされ、「使えるかも」でポチってしまい、実際に着てみると「なんかイマイチ、返品しよう」となり、送料+返送料が出ていく。

そんなことを、最近繰り返してしまった。

送料と返送料だけで、お気に入りリストから1着買えたんじゃないかと思う。

中には「これはいいんじゃない?」で購入したものもあるが、手持ちの服と似たような物を選ぶものだから、結局見飽きた感じの、パッとしない組み合わせになってしまうのだ。

 

見飽きる、というのも当然だ。

手にとる服は決まっていて、2~3パターンの決まった組み合わせをリピートしているだけだ。

そこで、「似たような服ばかり買う」クセをなくすために、手持ちの服をきちんと管理することにした。

使い始めたのは「XZ(クローゼット)」というアプリだ。

まずは、手持ちの服をすべて写真に撮っていく。

いちいち広げてしまうと面倒だし、自分さえ分かればいいので、ニット類やデニムは畳んだまま撮影。

背景を自動的に切り取ってくれるのが嬉しい。

カテゴリー、ブランド名、色、使えるシーズンを選んでいくだけなので、とても簡単。

とりあえず今のシーズンに使いそうなものだけ記録して、あとは追加していくことにした。

こんな感じ。

 

 

 

 

 

好みがハッキリしているというか、似たような服ばかり選んでる。

どれを組み合わせても似たり寄ったりなので、次に購入する時は色味や明度の違ったものを選ぶといいかもしれない。

デニムも買いたいと思っていたけれど、どうしようかな……

色味や形、丈の長さでシーズンや用途が変わるから、いろいろ欲しくなるんだよね……

 

 

 

ひとめで手持ちの服や選ぶ傾向がわかるので、とても良い。

服が欲しいと思った時も、これまでより冷静に考えられる気がする。

手持ちの服をAIがコーディネートしてくれるのも面白い。

「そうそう、いろいろ組み合わせてみればいいんだよねー」という気持ちにさせてくれる。

 

 

このアプリと上書き家計簿でまずは物欲を鎮静させる。

なおかつ、買い物上手、コーディネート上手になることが今年の目標だ。

 

 

久しぶりの更新

ずいぶん久しぶりの更新(ちょうど一か月ぶり)になってしまった。

実家には、2度帰省した。

最近、自宅と実家の遠距離移動が、地味~に心身にこたえる。

遠距離介護が始まって3年、キャリーバッグを抱えて階段を昇り降りしたり、駅の人混みの中を歩いたり、正直「疲れたなぁ……」と感じることが多い。

母の認知症が進行するにつれて、帰省する間隔がどんどん短くなってきていることもあるかもしれない。

最近は、自宅2週間~実家に1週間から10日~自宅2週間~、といったサイクルで動いている。

自宅にいる間の2週間にいろいろ雑務をすませているうちに、あっという間にまた帰省の前日になってしまったりする。

無職で夫と2人だけの生活なので、身軽で恵まれた身なのは自覚してるし、感謝もしているけれど、それでも疲れてしまう。

「何もしていないのに時間だけ過ぎていく」と感じているから、余計に疲れるのかもしれない。

何もしていないのに疲れてしまう自分が情けなく思うけれど、それが自分のキャパなら受け止めるしかない。

夫との日常に馴染んだ頃にまた帰省の準備をするのは億劫だし、心地よい場所から離れることに後ろ髪を引かれることも多い。

「後ろ髪を引かれる」というなら、実家を後にする時だって毎回感じるのだから、どちらに居ても同じような感情がわき起こるのだけれど。

認知症になってからの母はどんどん小さな子どものようになっていて、まぁなんというか、面倒に感じることも多いけれど、機嫌よくニコニコしていると本当にかわいらしいのだ。

母親を残して自宅に戻る時は、毎回こちらも胸が痛くなってしまう。

 

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私の心身が元気で体力が持つ間に、母をきちんと看取れるといいけれど。

最近は、早くに亡くなった父の遺影の前で『お父さん、頃合をみて、お母さんをちゃんと迎えにきてね』とお願いしてしまう。

母が1人で老いていくのは父が亡くなった時点で分かっていたことだし、分かっていながら遠くに離れることを決めたのは自分だし、母も(寂しかっただろうけど)納得してくれていた。

この状況はあらかじめ予想できたことなのだから、自業自得だし仕方がない。

母が認知症になる、ということはかなり想定外だったけれど。

あとどのくらいこの生活が続くかな。

とりあえず、自分の気力・体力が最後まで持ちますように。

 

 

 

 

認知症母の電話パターンと「お気持ちわかります」

数日前のこと。

午後3時をまわった頃、母から電話がかかってきた。

電話に出ると「お母さん、ちょっとわからなくなって……」と焦った声を出している。

こういうことは時々ある。

おそらくリビングでテレビを観ているうちにウトウトし、ハッと目が覚めた時に自分の置かれた状況がわからなくなったと推測する。

いまは何時でどういう状況なのか、大事なことを忘れていたりしないのか、母の中で軽くパニックになり、とりあえず私に電話をかけてきたのだろう。

認知症の母でも電話をかけやすいように、私の写真のアイコンにタッチするだけで自動的に電話がかかるように設定してある。

 

うたた寝してたんじゃない?大丈夫だよ。時計みて。何時になってる?

時計……3時20分になってる

そう、お昼の3時過ぎ。窓の外みて。明るいでしょ?

お母さん、どうなったの?どうしたらいいの?

ちょっとうたた寝して、寝ぼけただけだから大丈夫。出かける用事もないし、家でゆっくりしていれば大丈夫だから。心配することないから

そこにいれば大丈夫だから、忘れている用事はないから、と繰り返し伝えてなだめると、母も落ち着いてきて電話を切ってくれた。

 

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こんな風に、認知症になってからの母の電話には、3つのパターンがある。

うたた寝から目が覚めて、状況がわからなくなった時

②何か気に障ったり、不穏になったりして、気持ちを聞いてほしい時

③私の声をききたい時(寂しい時、甘えたい時)

①のパターンの時は、先程のように母本人に状況を把握させて、「大丈夫、問題ない」ということを伝えるようにしているが、②と③のパターンの時によく使っている言葉がある。

「お気持ちわかります」

先日テレビにコールセンターの全国大会で優勝した方が出ていて、その方がクレーム対応の時に使っている言葉らしい。

長々と訴えてくる人に共感しつつ、この言葉をはさむことで主導権を相手から自分に移すことができるらしい。

それから、母との電話にこの言葉を使わせてもらっている。

特に用事でもなく、聞きたいことがあるわけでもなく電話をかけてくる時、ちょっと不穏だったり愚痴気味だったり、小さい子どものように甘えた感じで電話をかけてくる母をなだめるのにとても良い。

うんうん、お母さんの気持ちわかっているよー

この言葉をいうと、なんとなく母が嬉しそうな気配が伝わってくるし、納得してくれるので電話も切りやすい。

私から母への電話は毎日朝、昼、夕方の3回は必ずかけているので、正直なところ、母からの電話はできるだけ長引かせたくない気持ちがある。

以前は愚痴めいた電話にイライラし、イヤ~な雰囲気で電話を切ってしまうこともあったし、母からの着信があると「今度はなんだ??」と警戒してしまう自分がいた。

最近、母のパターンとこの言葉を知ったおかげで、こちらが上手く対応すれば、双方が機嫌よく会話を終えられることがわかってきた。

気持ちをまともに受け止めるだけじゃ疲れてしまうので、こういったテクニックを使うことで、相手の機嫌をそこねることなく受け流すって大事だよね。

大変なのはまだこれからなんだと思うけど、母の変化に合わせて、私も進化していかなきゃいけないなと感じる。

 

 

母の半年に一度の認知症検査に行ってきた

ここのところ、ブログのタイトルだけ入れて保存し、ねかせているうちに、自分の中の「書きたい気持ち」が薄れてしまい、『これ、もういいや』になってしまうことが多い。

気持ちや思いつきは、新鮮なうちに文章にしてしまわないとダメなのかもー

 

先日の帰省時、大学病院の脳神経内科へ母の認知症検査に行ってきた。

半年ぶりだ。

母は、昨年1年間の認知症の進行スピードがとても速かった。

生活面で困ることも目にみえて増えていたし、前回6月の心理検査の結果も良くなかったので、それまで飲んでいたガランタミンに加えて、8月からメマリーも開始。

今回の検査は、そのメマリーの効果をみる意味合いもあった。

 

aoi50202204.hatenablog.com

 

今回はМRIは撮らなかったので、心理検査(MMSE・HDS-R)のみ。

最初から最後まで、母の緊張ぶりは相変わらずだった。

私とのやりとりでは答えている質問にも、言葉が詰まって出てこないようだ。

検査に取り組む母の隣で、小さい子を見守る母のような気持ちになる。

 

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結果、前回とほぼ変わらず。

どっちがどっちだか忘れてしまったが、15点と18点。

前回は13点と17点だったみたい。

微妙だが、上がっていた。

母の体調や緊張具合でも点数は変わるので、上がっていたからといって単純に良かったというものでもないけれども、「悪くなっていなかった」という事実に安堵した。

もちろん、大切なのは点数の良し悪しではなく、母がちゃんと生活できているかどうかなのだけれど、私の目からみても、ここ最近の母の様子は少し落ち着いてきたように思っていた。

検査結果が良かったことは、その裏付けがされたようで素直に嬉しい。

今年の春から訪問介護のスタッフさんに入ってもらったり、見守りカメラの設置など住宅環境も整えたりと、母を独りで置いておける環境が整ってきたことも大きいと思う。

私が2~3週間に一度は帰省していることも、母の情緒の安定に影響しているかもしれない。

栄養、運動、睡眠の不足と情緒不安定は、認知症の悪化に直結していると思う。

先生からも「良かったですね。お薬の効果あるのかもしれませんね」ということで、ガランタミンとメマリーの服用は続けていくことになった。

 

母の認知症が始まった頃に比べると、私の気持ちもだいぶ落ち着いてきた。

初期の頃は、飲んでたお薬のせいじゃないか、とか、足の手術で全身麻酔した影響じゃないか、とか、とにかく「認知症」だと認めたくなかった。

「原因」とか「責任」とか、そんなことばかり考えた。

まだ引き返せるんじゃないか、と思って、あきらめもつかなかったし。

(実際に軽度認知症の段階なら、半数の人は生活環境の改善などから元に戻る可能性があるらしい)

 

母が何かおかしなことを言ったり行動したりすると、怖かった。

母が変わってしまうこと、母が1人で暮らせなくなって、自分の生活も脅かされること。

母がかわいそう、私だってかわいそう。

毎日「どうしてこんなことに?」と思っていたし、たまたま親子そろって大殺界と呼ばれる年回りだったこともあって、「当たっているのでは?」とさえ思ってしまった。

気持ちのよりどころを求めて、認知症関連の本を片っ端から読んだ時期もあった。

 

いまようやく、認知症の母がノーマルな状態になりつつあるというか、「今の母も母」だと受容できるようになったというか。

遠距離介護の生活にも、慣れてきたのかもしれない。

私の気持ちが落ち着いたことで、母への接し方も少しは上手になってきたのかなと感じている。

母の無邪気な笑顔をみていると、ゆるキャラのような、なんともいえない愛しさもこみあげてくるようになったし。

先のことは、どうなっていくのかわからないけど。

このまま、穏やかに過ごしてくれたらいいんだけどな……

 

 

 

いまここ、が「置かれた場所」

こうしてパソコンに向かうのは2週間ぶりくらい。

先週は母のところに帰省し、戻ってきてからは細かい用事を済ませているうちに数日過ぎてしまった。

時間の流れが早い、ほんとうに。

スキマ時間にブログを書けないことはなかったけれど、ちょっと疲れていたのか書くパワーが出てこなかった。

パソコンを開いて読者登録しているブログに目を通し、その後自分のブログを開くのがいつものパターンなのだけど、最近は「読む」だけでなんだか満足して、そっとパソコンを閉じる日が続いていた。

登録している中でも特に心待ちにしているブログが3つほどあって、どこのどなたかも存じあげないけれど、毎回楽しみにして読んでいる。

明るい気持ちになったり、なんとなく癒されたり、共感したり、心の中でエールを送ったり。

 

昨日、カード会社から近況確認のお知らせが届いていた。

確認事項のトップに「お客様は現在『主婦』となっておりますが、お間違えないでしょうか」と大文字の赤字で強調されていて、なんとも微妙な気持ちになった。

新卒からずっと何かしらの仕事には就いていたけれど、母の遠距離介護が始まってからの肩書は「主婦」だ。

カード会社の意図は別として、なんとなく責められているように感じるのは、自分に卑下する気持ちがあるからだろう。

 

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このご時世、専業主婦がまわりからどのように思われているかは分かっている。

若い頃は自分なりの理想というか、ふわっとした人生設計があって、仕事はずっと続けていきたいと思っていた。

実際、私の友人達は子育てしながら仕事も続けていて、たまに集まっても無職なのは私1人だ。

スマホには連日のように派遣会社からパート情報等が流れてきて、日課のようにひととおり目を通すけれど、今の私の状況で就業できる案件はない。

みな何かしら事情がある。

仕事に限らず、人には人の数だけ事情がある。

「置かれた場所で咲きなさい」という渡辺和子さんの言葉があるけれど、今はこの状況が私の置かれた場所だと思って、やるべきことをやるしかない。

 

長い年表の「いまここ」では主婦だけれど、この先はどうなっているかわからないし、「主婦の頃が懐かしいー」とか言いながら働いているかもしれない。

私が何か願い事をする時は「家族が笑顔で過ごせますように」一択なのだけれど、そのために自分ができることは無限にあるのだし。

 

 

 

寝起きの「無」の時間は、瞑想に似ている

日曜日の記録。

目覚めのいい夫に起こされた。

慌てて起き上がったのでフラフラするし、目が半分しか開かないので、まずは歯を磨く。

歯ブラシをくわえたまま倒れると危険なので、椅子に座ってじっくりと磨く。

目を閉じたほうが感覚が冴えるのか、歯と歯茎の境目に、歯ブラシの毛先が当たるのを感じる。

ジャストフィットが気持ちがいいので、細かく歯ブラシの角度を変えながら「ピッタリの感覚」を探っていると、半分寝ていると思ったのか「もう、えーで」と夫にうながされた。

口をすすぎ、石鹸でしっかり顔を洗って目薬をさすと、ようやく視界が明るくなって、動き出す気力が湧いてくる。

 

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朝が弱いのは、子どもの頃から変わらない。

兄の小学生の時の作文に「ぼくの妹」というのがあって、その書き出しにはこう書かれている。

「妹は朝寝坊です。起こしにいくといつも『もうちょっと、寝る』と言います」

兄が作文用紙に向かった時、まず浮かんだのがそれかと思うと笑える。

「妹は優しいです。いつもお菓子を分けてくれます。でも、自分の好きなお菓子は分けてくれません」

というのもあった。

微笑ましいが、全体を通してほんのり私をディスっているのが兄らしく、よく私の特徴をとらえている。

最後は「僕は(私の名)が大好きです。それは妹だからです」という兄弟愛にあふれた、とってつけたような文章で締めくくられている。

その文章だけ後から書き足したように鉛筆の色が濃く、何度も消しゴムで消した跡が残っている。

おそらく母の指導が入り加筆を促されたのではないかと思っているが、大人的には褒めポイントらしく、先生の赤字の装飾に花マルがついている。

 

起きてすぐは頭の中がリセット状態になっていて、声を発する気力も湧いてこない。

帰省中は母のベットの下に布団を敷いて寝るのだが、起きてしばらくは、私と母の関係が昔のそれに戻る時間だ。

 

母がベットの端に腰かけて、寝ている私を見下ろしながら、起こしにかかるところから一日が始まる。

私としてはもう少し寝ていたいと思うのだが、すっかり覚醒してしまった母はかまって欲しくてたまらない。

観念して起き上がるけれど、頭はぼうっとしているし、動く気にも声を出す気にもならない。

起き上がったまま、目を閉じてじっとしていることもある。

そんな私の様子をみて、母が「ちょっとここ座りなさい」と言って私を自分の前に座らせ、肩をマッサージしてくれる。

その瞬間、時が数十年遡るかのようだ。

母は肩もみが上手いので、力は弱くなったもののツボを的確に押さえられ、ますます身体に力が入らない。

 

ひとしきりマッサージしてもらい、さすがに「ありがとう、もういいよ」と言うと、次は布団の畳み方の指南が始まる。

毛布や布団の端と端を合わせながら「こっちを持ちなさい」「きちっと合わせなさい、きちっと」を繰り返す。

母は昔から「きちっと」が口癖だった。

いつもなら認知症の母にいろいろ言われたらうるさいだけなのだが、起き抜けの私は「無」の状態なので、母の言うとおり、小さい子どものように母に従って、黙って布団をなおす。

 

眠ると脳がリセットされるのか、満たされるのか、単に頭がまわらず感情が平坦になるのか、小さなことがどうでもいいような気持ちになる。

「ここに自分がいる」という、ただそれだけ。

 

昔なら仕事のことや恋愛のこと、今だったら母のこと、いろんな悩みや不安、心配事でいっぱいになる夜もある。

そんな時いつもこう思う。

「とりあえず寝よう。朝起きたら、多分どうでもよくなってる」

 

翌朝目覚めると、眠気とだるさが身体中を支配していて、その他の感情が入り込む隙はない。

ふと寝る前の悶々とした状態を思い出すこともあるが、その時には何かを悟りきったように頭の中が「無」の状態になっていて、思い出すことすら億劫というか、「眠い」という事実の前では、取るに足らない、小さいなことになっている。

 

寝ることは、生きることなのだ。

家族にも夫にも「よく寝るなー」と感心されるけれど、寝起きのぼんやりも含めて、私のあれこれ散漫になりがちな脳をリセットして休ませ、また稼働させていくためには、ものすごく大切なことなのだ。

 

ここまで書いて、ふと思った。

寝起きの「無」の状態は、瞑想に似ているのかもしれないな。

貴重な時間を、明日もじっくり味わおう。

 

 

 

11月23日の記録 夫と外食

実家から12日ぶりに戻る。

夫とフグ料理を食べに出かけた。

取引先の人に美味しいお店があると教えてもらい、コスパが最強だと聞いて、どうしても行きたくなったらしい。

土曜に予約を入れようとしたら満席で、「それなら23日で!気になってしかたないわ」と夫。

こういう時の夫の執念には感心する。

 

お店は電車を乗り継いで1時間程のところ。

予約がとれたのが17時だったので、まだ明るいうちにお店についた。

入口に入ろうとすると、ドアの外にいた3人組の1人が「すみません~」と話しかけてきた。

テレビ局の人で、店内の様子を撮影しにきたとのこと。

皆さんが食べている様子を映させてもらいたいけれど、よろしいでしょうか~ということだった。

インタビューとか言われたら、「そういうのはちょっと……」と断われるけれど、この場合は断るほどの理由もない。

「映されちゃマズイカップルとか、いるんだろうね~」と夫と話した。

その後しばらくして、店内が満席になった頃、本当にサ~ッと映して帰って行った。

夫に「映ってたっぽい?」と聞いたら、「全然。反対側だったわ」と言っていた。

 

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てっさ、てっちり、湯引き、から揚げ、うどん、雑炊。

12日ぶりのアルコールも入って、夫とお腹一杯食べた。

聞いていたとおり味もコスパも良く、大いに満足して、機嫌よく店を出た。

 

まだ19時過ぎだったので、もう一杯飲んで帰ろうとなり、以前に2度ほど行ったことのあるショットバーに入った。

メニューに出ていた「プレミアムジントニック(ゆず味)」と「紅茶ミルク(ホットもできます)」で迷いに迷った。

いつもならジントニックを選ぶのだが、妙に「紅茶ミルク(ホットもできます)」が気になった。

 

2択で決められない時には、とりあえず店員さんを呼び、聞かれた時の一瞬の直感で答えるようにしている。

夫が注文している間もまだ迷っていたけれど、私の番になり、一瞬言葉に詰まったものの「紅茶ミルク、ホットでお願いします」が口をついて出た。

『やっぱ、そっちだったか』と思った。

気持ち的には、お酒よりも、コーヒーとか紅茶とか、なんか甘い物とか、そういう気分だったんだろう。

 

出てきた紅茶ミルクをすすろうとしたら、湯気とともに立ちのぼるアルコールの香りがすごくて、むせそうだった。

甘くて熱くて、湯気だけで酔いそうだった。

実際、その日3杯めのアルコールで、かなりいい感じに仕上がった。

 

帰りの電車は夫と2人、爆睡だった。

終点の最寄り駅で降りたあと、夫も「俺ら、完全に酔っ払いやな」と言っていた。

 

夫の顔が赤くて上機嫌だったので、本人に見せてやろうと思ってふざけて写真を撮った。

店に向かう前、街をぶらついている時にも写真を撮っていたのだけど(すでにクリスマスの飾りつけがいっぱいで綺麗だった)その時のスンとした表情とのギャップがおかしくて、「ビフォー、アフター」で見比べて、また笑った。

夫の酔っぱらった笑顔が、冷静にみて笑えるくらいひどいので一度削除したけれど、あまりに幸せそうな顔だったので、なんとなく捨てるのは惜しい気持ちになり、また復元した。

楽しい夜だった。